松山市公営の俳句ポスト365に投句しだしてから半年くらい経っただろうか、ブログを掘り返してみたら3月末が初投句なので、もう既に8ヶ月である。他人(ひと)様の撰をあおぐというのは、よくよく思い出してみると俳句に限らず僕にとっては初めての経験だったので、この間いろいろ思うこともあった、忘れないようにここに書いておこうと何度か考えてもみたのだが、ブログという奴はサボりだすといくらでもサボれるしなあ、とかぐだぐだしているうちに書かないできた。薪が湿ってしまうと火を付けようとしてもぐずぐず燻るばかりで多少のことではなかなか火が付かない、というのと似ている。
それが先日、というか昨日だが、最近やはり俳句ポスト365に投句を始められた方がツイッターで呟かれて、その内容自体がどうということではないのだが、それを読んだのをきっかけに記憶の襞のどこかに火がついて、それがぐるっと巡りめぐって発火点に達した、というかまあ書く気になった。以下、個人的、かつささやかな内的体験の記録である。
それで、と。
俳句ポスト365というのは、毎週、兼題が出されるわけで、兼題というのは一般には季語の場合も季語でない場合もあるのではないかと思うが、この場では必ず季語が兼題として出される。季語にもいろいろあるが、籾、蚕、筍飯という具合に、僕のような地に足がついていない生活をしている人間にはリアリティ薄めの季語がつづくのである。
これまで、俳句みたいなものをかれこれ3,4年作ってきたのだけれど、季語は取って付けたようなというと言い過ぎだが、正直言ってイメージを喚起するパーツくらいにしか意識してこなかった。言葉の組み合わせをあれこれいじっているうちに、何かがぱっと出来て、そこにどうかすると季語が入っていたり入っていなかったりする。入っていなければ後から付けたり、というようないい加減なことをしてきた。
それが、まず季語があってこれを主役にして作らねばならない、ということの難しさを、俳句ポストに向けて実際に作句を始めてからようやく気がついた。最初に投句したのは、
芹洗ふにんげんの皆俯いて
芹薺御形繁縷本能寺
と、あと一句は平仮名だけの言葉遊びの句。芹洗ふの句を並に拾っていただいて、芹薺は松山城主よしあきくんが遊んでくれたのでまずは満足。その後、
逝くときは一握の籾まくやうに
人の声消へて蚕の咀嚼音
畳まれて仔鯉ののぼり母のうへ
と続いた。毎回、締切めがけて頑張って、出来ると投句、もうちょっとましなのができるとまた投句、というようなことをしてだいたい3句か4句作って投句していた。その中で、自分として一番良いと思う句を毎回選んでいただいて、ああそうなのか、という感じをもった。一方で、明確に意識していたわけではないのだが、この頃は、ひとさまのお宅なのだからお行儀良くしようというような意識があったと思う。そのことは、以前にも、季語に奉仕してる感じがするとかなんとか、ここに書いたと思う。
そういう感じがあったので、並とか人とかに選んで頂いておきながら自分としては何か満足できないところもあったわけで、その辺りから、季語のイメージ(ふつうは「本意」というのだと思う)を踏まえつつも自分のやりたいことを試みるようになった。語彙の選び方で説明するのが分かりやすいと思うが、真実、観念、逃げる、文明といった硬めの言葉を季語にぶつけてみる、ということをして何週か出してみた。しかし、この中では観念以外はすべてボツ。一緒に出している「季語に奉仕している感じ」の方の句が取られるということが多くて、野球でいえば勝率3割廣島東洋カープみないな口惜しさ。
筍飯海道遙か来たりけり
観念重たし夏蜜柑は枝のうへ
蜘蛛の囲にペルシアの王をふと見たり
蜘蛛の囲や真っ青な空に鳥がいない
星ひとつ鵜飼の貌のいや紅し
選ばれていながらちょっと悔しいのである。しかし、いや待て、そうはいっても自分に作句上の技術が足りない自覚はずっと持っていたので、このさい折角だから技術を身につける努力でもしてみようかと思うことにした。永く忘れていた向上心。ポジティブシンキング。
その頃までには、夏井さんの句評とか撰の傾向として、固有名詞(特に地名)、数詞、色、あたりがポイントになっていることが多いことに気がついていたのだが、自分ではこれらの要素はそれまでほとんど意識していなかった(そういうものが含まれることが良いと思ってもみなかった)ので、技術向上トレーニングの一環として作ってみた。
瓜を冷やせ埃及より友来る
ポンポン山に雲湧くを待て冷し瓜
すると、あろうことかあらざることか、それまで越えられなかった(いや、どうしても越えたいと思っていたわけではないのだが)人地の境界を越えて、埃及の句が初めての「地」を受けた。その選評にポンポン山も載せて頂いた。ちなみに、ポンポン山は国土地理院謹製の地形図にもある歴とした地名である。選んでいただいておいてこういうことを書くのは人間としてどうかと思うがこの際書いてしまう、初めての「地」で嬉しかったかというと、これが実は全然嬉しくなくて、それどころか、なんとも非常に釈然としない思いだけが残った。要するに自分のものでないものを褒められた不満。
で、翌週の兼題は「鰺」。1句出し。
強情な我ゐる鰺にぜいごある (選外)
我ながらひどい態度(笑)。翌週は「夏木立」。3句出し。自分寄り1句、季語寄り1句、中間1句で選ばれたのは季語寄りの1句。
さて雨の音してやがて夏木立
その後も、表には見えない(それどころか闘っている相手にも見えない)一進一退の攻防が続く。
サバンナまで繋がってるか夏の空
合歓の花散りて舗道はあの世めき
シロサイがゐない夏野を走るひと
永遠のうちの一日日日草
金魚にもある生活と意見と斑(ふ)
土砂降りの街ずぶ濡れの金魚我等も
朝凪や空気に重さあるといふ
少年二人二の腕細し焼きオクラ
生まれては生まれては死ぬにんげんに桐一葉
これらのうち、金魚くらいまでは実感としては勝率4割 5分くらい。金魚は「人」2句で一見勝ちに見えるかもしれないけれど、5句出しの選外3句の方にも愛着があるので自分としては負け(身勝手御免)。そうこうするうちに季節はめぐり、猛暑の夏を迎えて、オクラ、桐一葉は闘いどころではない息絶え絶えの1句出し。
その後、夏季恒例の体調低下でしばし休戦。
さて、9月になって投句再開。まずは秋の雷、いきなりの6句出し。
秋の雷ミック・ジャガーに皺深し
秋雷や忽ち昏し畝傍山
ミックが「地」、畝傍山が「人」。この「地」も「人」も固有名詞だが、アレ、なぜか悔しくない。埃及の時とは違うのである。畝傍山はともかくミック・ジャガーには納得している俺がゐる、という感じ。
秋分や心臓がどくんといふ
秋分の未知数多き方程式
秋分は4句出しで、選外の1句が自分では一番好みなのだが、これもなぜか口惜しくない。それで不思議に思って自分の心理を分析してみたわけであるが、要するに(明確にそういう意識があったのではないが、どうやら)選ばれて逆に口惜しくなるような句は最初から投句しない、ということをしていたのである。気がついてみれば逆転の発想。これなら、勝手に負けた負けたと悔しがる必要もない。
その後、今度は意識的に、投句を1句か2句に絞って、出せるものだけ出すことにする。
秋高し映画の地球幾たび滅ぶ
秋祭ひとつ灯して夜空かな
惑星はまたたけぬ星夜食食む
木星を金木犀が照らす夜半
そうしてみると、秋祭のような句が選ばれてもなぜか口惜しくない(←ここだけ取り出すと相当におかしなことを書いていることは自覚している)。他に自分にとってこれぞという句を出していないのだから当然である。むしろ、ちょっと技術がついてきたんじゃね、などとひそかに悦に入っていたりする。
10月。いよいよ体調復活。鵙は2句出し。
十九歳、童貞、無口、猛り鵙
縄文の父祖の暮らしや鵙の贅
小学生俳人も出入りしている公営ポストに「童貞」はどうかと一瞬思ったが、そういう遠慮はしないことにしようと、この頃には決めていたのである。縄文の句も相当にえぐいのだが出した。他は出さない。両方落ちてもよいと思っていたのだが、ともに「人」。なあんだ、という感じ。十九歳の句は出句後に詠みなおした。
十九歳、童貞、無口、鵙猛る
こっちの方が絶対に良いと思うのに、どうして投句前に気がつかなかったのかなどと思う心の余裕が生まれている。たいへんに興味深い心境の変化である。
鵯め襖絵にゐるつもりかえ
鵯には手を焼いたが納得ずくの1句出し。次の初時雨は苦手ではない季語だったのだが、まさかの投句忘れ。あほ。お次は枯葎で、これはどうしたもんだか随分悩んだ挙げ句、締切の水曜日の帰りの電車の中で、なんのはずみか、それまでいじっていたのとは全然ちがう言葉の組み合わせがぽんと出てきて、とりあえず1句投句。帰宅後しばし思案ののち、詠み直しを締切間際に再投句。(←このあたり、なかなかルポっぽい)
枯むぐら我等は笑ひつつ亡ぶ
木曜日の人並選に外れて、まさかのスコンクなどとふざけていたのだが、なんと翌日に「天」。正直どう考えても勿体なさすぎる内容の長文の選評を頂いた。それで、ちょっとしたきっかけでその時の感想みたいなことをツイッターに書いたというわけである(このエントリーの最初に書いたこと)。一部をそのまま引用する。
そんなところで、今回の選評を頂いて、深いところまで書いて頂いて、なるほどそういうふうに読み取っていただいたのね、と思う一方で、実は、自分としてこの句のポイント(の一つ)と思っているところには直接は触れられていないわけです。それで自分がどう感じているかが自分にとっても興味深いわけですが、僕としてはそういう戦評が全然不満ではないわけです。それで、どうして不満でないかさっきから考えていたのですが、どうやら、自分としてはあの句はあの句として放り出してしまったという感覚になっているらしいわけです。子どもが星人もとい成人して家を出て行った、みたいな。
よく、作品は発表したら自分のものではない、というようなことを言う人がいて、それはいさぎよいようだが本当は絶対に違うと常々思ってきた。自分の作品(とわたくしごとき素人が言うのもおこがましいが、それはそれとして)はどこまで行っても自分の作品である、と思う。この考えは今でもまったく動いていない。
で、ここから先が実は以前と違うことなのだが、発表した作品は自分(「作者」)のものであると同時に、読んでくれる誰か(いわゆる「読者」ですな)のものでもあるのではないかと考えるようになっているのである。作者にとって、作者としてそれを書いた意図とか思い入れがあるのだが、それは実は読者にとっても同じことで、読者が読者自身としてその作品を咀嚼するという読者固有の行為があるのではないか。子どもはいつまでも子どもだけど、自分の世界で自分をつくって行けよ、みたいな。
で、こういうことを言っていると、きっと子どもに「おやじもずいぶんとおとなっぽいことを言うようになったものですな」などと言われるのである。くそ。