2013年12月21日土曜日

言語化

小津安二郎忌の畳へこみたる

小津の忌日は12月12日。誕生日も12月12日。
ユーチューブを眺めてたら、小津安二郎の映画が沢山アップロードされている。たいへんな時代になったものである。

これを見ていてこみあげてくるこれ、なんだろうねこの感覚は。どのように言語化すればいいのか。むずかしいのである。




こんなことしてないでさっさと年賀状の準備しなくてはならないわけですが。

2013年12月19日木曜日

キチン質


蟬殻を拾へば枯野あたたかし


なんか季語がたくさんある句である。蟬の殻はああ見えてなかなか丈夫で、条件が良い場所で雨に打たれたり踏みつけにされたりしなければ、冬でも結構残っている。蟬自身は殻を脱いで1週間もするとさっさと死んでしまうが、蟬殻は蟬の生に必要とされなかったガラにすぎないからいつまでも残っているのだ、ともいえる。

それはそうと、奈良公園が好きでよく行く。奈良公園といえば鹿。鹿といえば鹿の糞。奈良公園を歩くということは鹿の糞を踏みながら歩くということになりそうだが、そうでもないのは糞虫が糞を処理しているからだと思う。奈良公園の茂った草の下には鹿の糞を食べる糞虫がたくさん生息しているにちがいない。

あをによし、奈良のみやこ、鹿の糞、糞虫、仏の座

これは、兼題「仏の座」で作りかけてみたものの、まとまりそうにもなかったので捨てた句案のガラ。しかし、タンポポの弟分みたいなタビラコに、仏の座などという有り難い名前を付けたのは、糞虫とか鹿の糞とかいうちひさきものどもへの視線が働いていたからではないかとは思っている。



2013年12月15日日曜日

寒林に入り青蝶の死に会ひぬ


なんか知らんが、夜にひとりでいたりするとダウナーな気分になるわけである。いちばんよくないのは出張でビジネスホテルに泊まったりしているときで、缶ビール飲みながらyoutubeで懐メロ見出だしたりするともう止まらない。涙ぽろぽろ。







2013年12月12日木曜日

ことば


人間のことばを知らず室の花


生まれたての赤ん坊は言葉を知らないので、周りで大人があやしたり話しかけたりしてもへらへらしたりそっぽを向いたりする。興味があるのは、やつらが言葉を理解するようになっていく過程というのは、やつらにとってどういう体験なのだろうかということである。ううむ、こう書いてしまうと興味の中心がボケてしまう。つまり、言葉を知らない、言葉という概念すら想像もできない状態、人生で一度は体験したはずだが既に忘れてしまったその状態を、できることならもう一度体験したい。

あるいは、ある年齢までの幼児は声にだして話される言葉は理解するし自分でも使うことができるのだが、書かれる言葉を知らない。これも不思議なことで、書かれる言葉を全く理解できないという状態はどういうものなのだろうか。単に理解できないだけなら、東南アジアへでも行けば体験できるし、それはそれで迷子になったような孤独感を味わえるのだが、悲しいかなあのくねくねは何か意味を載せた文字というものであることは知っている。そうではなくて、文字というものの存在を知らない生を生きてみたいのである。

死ぬまでにそういう瞬間が私に戻ってくるのだろうか。


2013年12月3日火曜日

エロ(ス)

2つ前のエントリーのコメント欄で、俳句におけるエロスの話になって、ずっと以前のエントリーで書いたnudeとnakedの違いに似た違いがエロとエロスの間にあるとかないとか、という話に広がった。それで、ちょっと集めてみた。



啓蟄をかがやきまさるわが三角洲(デルタ)  櫂未知子

ぎりぎりの裸でゐるときも貴族

シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は


まはされて銀漢となる軀かな   柴田千晶(「超新撰21」)

スクリューのごとき男根枯野星

内股に触れし冷たき耳ふたつ


ちんすこう共寝のたびに音たてて  後藤貴子(「飯蛸の眼球」)

仏手柑をまたぐ姿勢にこだわりぬ

恋しとど浴びあんこうの生乾き



櫂さんの句は、題材がそれっぽいので載せてみたが、あまりエロくないし、エロスでもない気がする。とくに前の2句は金子兜太さんあたりが睾丸とか尿瓶とか詠んでるのに近い気がする。いや、そこまでのリアリティはないか。

柴田さんの句は、「作者と作中主体は違うのである」というような但し書きがついていそうな(実際にはついてないが)気配。第三者(読者)に見せるために書いているように感じる、という意味で nude もしくはエロ。

後藤さんは、nude 対 naked論のご本人で、なるほどたしかに nakedな感じである。しかし「関係」を描いているからエロスを感じるかというとそれほどでもない。にんげん界のエロスから物質界の何かに向かって分解されつつある途中という感じ。逆にそのせいか句集には一読の印象はアッサリしているが、繰り返し読むとじわじわ来る句が多い。で、もう少し引きたくなった。(こういう題材の句ばかりというわけでは勿論ない、為念。)



愛ばかり包めば湿る新聞紙  後藤貴子

自愛かな凪に残れるわが指紋

夜更けて毛深き桃で手を汚す

軍艦の三角サンド乾きけり



(話の発端になったとおとさんの句も引かせていただこうかと一瞬思ったのだが、句集に纏められてからの方がよいかと思い、今日はやめておくことにしました。)


2013年11月30日土曜日

コンピュータの電源コードに足を引っ掛けて抜いてしまった。再起動したところファンがフルスピードで回って止まらなくなった。ただでさえ暖房のない部屋が寒くて困っている。



色とりどりに戦隊つどひ秋高し

秋分の悪魔やさしい息遣ひ

初潮や星が星恋ふ人もまた

秋澄むやひとりで泣いてゐる悪魔

またひとりにんげんが来る真葛原

彼岸花ここよりほかにゐるわたし

長生やハルポマルクス忌の厠

魔女と棲んで永い夜食を食べるかな

小鳥来て鳥のことばで我を責む

人倫をのたうつホース見てゐたる

父でゐることはおそろし榠樝の実

秋昼や頼まれて鈴振つてゐる

まちがへて時々碧くなるめだま

少女らは磔刑が好き百舌の國

百舌の王磔刑の脚垂れたまま

こひびとのうたふくちびるからすうり

神の留守ちひさくちひさく指むすぶ

結び目をどうほどいても神の留守

観念はときに身を責む片時雨


2013年11月23日土曜日

ルポルタージュ 季語に挑んだ8ヶ月(みたいな)

松山市公営の俳句ポスト365に投句しだしてから半年くらい経っただろうか、ブログを掘り返してみたら3月末が初投句なので、もう既に8ヶ月である。他人(ひと)様の撰をあおぐというのは、よくよく思い出してみると俳句に限らず僕にとっては初めての経験だったので、この間いろいろ思うこともあった、忘れないようにここに書いておこうと何度か考えてもみたのだが、ブログという奴はサボりだすといくらでもサボれるしなあ、とかぐだぐだしているうちに書かないできた。薪が湿ってしまうと火を付けようとしてもぐずぐず燻るばかりで多少のことではなかなか火が付かない、というのと似ている。

それが先日、というか昨日だが、最近やはり俳句ポスト365に投句を始められた方がツイッターで呟かれて、その内容自体がどうということではないのだが、それを読んだのをきっかけに記憶の襞のどこかに火がついて、それがぐるっと巡りめぐって発火点に達した、というかまあ書く気になった。以下、個人的、かつささやかな内的体験の記録である。

それで、と。

俳句ポスト365というのは、毎週、兼題が出されるわけで、兼題というのは一般には季語の場合も季語でない場合もあるのではないかと思うが、この場では必ず季語が兼題として出される。季語にもいろいろあるが、籾、蚕、筍飯という具合に、僕のような地に足がついていない生活をしている人間にはリアリティ薄めの季語がつづくのである。

これまで、俳句みたいなものをかれこれ3,4年作ってきたのだけれど、季語は取って付けたようなというと言い過ぎだが、正直言ってイメージを喚起するパーツくらいにしか意識してこなかった。言葉の組み合わせをあれこれいじっているうちに、何かがぱっと出来て、そこにどうかすると季語が入っていたり入っていなかったりする。入っていなければ後から付けたり、というようないい加減なことをしてきた。

それが、まず季語があってこれを主役にして作らねばならない、ということの難しさを、俳句ポストに向けて実際に作句を始めてからようやく気がついた。最初に投句したのは、

芹洗ふにんげんの皆俯いて

芹薺御形繁縷本能寺

と、あと一句は平仮名だけの言葉遊びの句。芹洗ふの句を並に拾っていただいて、芹薺は松山城主よしあきくんが遊んでくれたのでまずは満足。その後、

逝くときは一握の籾まくやうに

人の声消へて蚕の咀嚼音

畳まれて仔鯉ののぼり母のうへ

と続いた。毎回、締切めがけて頑張って、出来ると投句、もうちょっとましなのができるとまた投句、というようなことをしてだいたい3句か4句作って投句していた。その中で、自分として一番良いと思う句を毎回選んでいただいて、ああそうなのか、という感じをもった。一方で、明確に意識していたわけではないのだが、この頃は、ひとさまのお宅なのだからお行儀良くしようというような意識があったと思う。そのことは、以前にも、季語に奉仕してる感じがするとかなんとか、ここに書いたと思う。

そういう感じがあったので、並とか人とかに選んで頂いておきながら自分としては何か満足できないところもあったわけで、その辺りから、季語のイメージ(ふつうは「本意」というのだと思う)を踏まえつつも自分のやりたいことを試みるようになった。語彙の選び方で説明するのが分かりやすいと思うが、真実、観念、逃げる、文明といった硬めの言葉を季語にぶつけてみる、ということをして何週か出してみた。しかし、この中では観念以外はすべてボツ。一緒に出している「季語に奉仕している感じ」の方の句が取られるということが多くて、野球でいえば勝率3割廣島東洋カープみないな口惜しさ。

筍飯海道遙か来たりけり 

観念重たし夏蜜柑は枝のうへ


蜘蛛の囲にペルシアの王をふと見たり

蜘蛛の囲や真っ青な空に鳥がいない

星ひとつ鵜飼の貌のいや紅し

選ばれていながらちょっと悔しいのである。しかし、いや待て、そうはいっても自分に作句上の技術が足りない自覚はずっと持っていたので、このさい折角だから技術を身につける努力でもしてみようかと思うことにした。永く忘れていた向上心。ポジティブシンキング。

その頃までには、夏井さんの句評とか撰の傾向として、固有名詞(特に地名)、数詞、色、あたりがポイントになっていることが多いことに気がついていたのだが、自分ではこれらの要素はそれまでほとんど意識していなかった(そういうものが含まれることが良いと思ってもみなかった)ので、技術向上トレーニングの一環として作ってみた。

瓜を冷やせ埃及より友来る

ポンポン山に雲湧くを待て冷し瓜

すると、あろうことかあらざることか、それまで越えられなかった(いや、どうしても越えたいと思っていたわけではないのだが)人地の境界を越えて、埃及の句が初めての「地」を受けた。その選評にポンポン山も載せて頂いた。ちなみに、ポンポン山は国土地理院謹製の地形図にもある歴とした地名である。選んでいただいておいてこういうことを書くのは人間としてどうかと思うがこの際書いてしまう、初めての「地」で嬉しかったかというと、これが実は全然嬉しくなくて、それどころか、なんとも非常に釈然としない思いだけが残った。要するに自分のものでないものを褒められた不満。

で、翌週の兼題は「鰺」。1句出し。

強情な我ゐる鰺にぜいごある (選外)

我ながらひどい態度(笑)。翌週は「夏木立」。3句出し。自分寄り1句、季語寄り1句、中間1句で選ばれたのは季語寄りの1句。


さて雨の音してやがて夏木立

その後も、表には見えない(それどころか闘っている相手にも見えない)一進一退の攻防が続く。

サバンナまで繋がってるか夏の空

合歓の花散りて舗道はあの世めき


シロサイがゐない夏野を走るひと

永遠のうちの一日日日草


金魚にもある生活と意見と斑(ふ)

土砂降りの街ずぶ濡れの金魚我等も


朝凪や空気に重さあるといふ

少年二人二の腕細し焼きオクラ

生まれては生まれては死ぬにんげんに桐一葉

これらのうち、金魚くらいまでは実感としては勝率4割 5分くらい。金魚は「人」2句で一見勝ちに見えるかもしれないけれど、5句出しの選外3句の方にも愛着があるので自分としては負け(身勝手御免)。そうこうするうちに季節はめぐり、猛暑の夏を迎えて、オクラ、桐一葉は闘いどころではない息絶え絶えの1句出し。

その後、夏季恒例の体調低下でしばし休戦。





さて、9月になって投句再開。まずは秋の雷、いきなりの6句出し。

秋の雷ミック・ジャガーに皺深し

秋雷や忽ち昏し畝傍山

ミックが「地」、畝傍山が「人」。この「地」も「人」も固有名詞だが、アレ、なぜか悔しくない。埃及の時とは違うのである。畝傍山はともかくミック・ジャガーには納得している俺がゐる、という感じ。

秋分や心臓がどくんといふ

秋分の未知数多き方程式

秋分は4句出しで、選外の1句が自分では一番好みなのだが、これもなぜか口惜しくない。それで不思議に思って自分の心理を分析してみたわけであるが、要するに(明確にそういう意識があったのではないが、どうやら)選ばれて逆に口惜しくなるような句は最初から投句しない、ということをしていたのである。気がついてみれば逆転の発想。これなら、勝手に負けた負けたと悔しがる必要もない。

その後、今度は意識的に、投句を1句か2句に絞って、出せるものだけ出すことにする。

秋高し映画の地球幾たび滅ぶ

秋祭ひとつ灯して夜空かな

惑星はまたたけぬ星夜食食む

木星を金木犀が照らす夜半

そうしてみると、秋祭のような句が選ばれてもなぜか口惜しくない(←ここだけ取り出すと相当におかしなことを書いていることは自覚している)。他に自分にとってこれぞという句を出していないのだから当然である。むしろ、ちょっと技術がついてきたんじゃね、などとひそかに悦に入っていたりする。

10月。いよいよ体調復活。鵙は2句出し。

十九歳、童貞、無口、猛り鵙

縄文の父祖の暮らしや鵙の贅

小学生俳人も出入りしている公営ポストに「童貞」はどうかと一瞬思ったが、そういう遠慮はしないことにしようと、この頃には決めていたのである。縄文の句も相当にえぐいのだが出した。他は出さない。両方落ちてもよいと思っていたのだが、ともに「人」。なあんだ、という感じ。十九歳の句は出句後に詠みなおした。

十九歳、童貞、無口、鵙猛る

こっちの方が絶対に良いと思うのに、どうして投句前に気がつかなかったのかなどと思う心の余裕が生まれている。たいへんに興味深い心境の変化である。

鵯め襖絵にゐるつもりかえ

鵯には手を焼いたが納得ずくの1句出し。次の初時雨は苦手ではない季語だったのだが、まさかの投句忘れ。あほ。お次は枯葎で、これはどうしたもんだか随分悩んだ挙げ句、締切の水曜日の帰りの電車の中で、なんのはずみか、それまでいじっていたのとは全然ちがう言葉の組み合わせがぽんと出てきて、とりあえず1句投句。帰宅後しばし思案ののち、詠み直しを締切間際に再投句。(←このあたり、なかなかルポっぽい)

枯むぐら我等は笑ひつつ亡ぶ

木曜日の人並選に外れて、まさかのスコンクなどとふざけていたのだが、なんと翌日に「天」。正直どう考えても勿体なさすぎる内容の長文の選評を頂いた。それで、ちょっとしたきっかけでその時の感想みたいなことをツイッターに書いたというわけである(このエントリーの最初に書いたこと)。一部をそのまま引用する。

そんなところで、今回の選評を頂いて、深いところまで書いて頂いて、なるほどそういうふうに読み取っていただいたのね、と思う一方で、実は、自分としてこの句のポイント(の一つ)と思っているところには直接は触れられていないわけです。それで自分がどう感じているかが自分にとっても興味深いわけですが、僕としてはそういう戦評が全然不満ではないわけです。それで、どうして不満でないかさっきから考えていたのですが、どうやら、自分としてはあの句はあの句として放り出してしまったという感覚になっているらしいわけです。子どもが星人もとい成人して家を出て行った、みたいな。

よく、作品は発表したら自分のものではない、というようなことを言う人がいて、それはいさぎよいようだが本当は絶対に違うと常々思ってきた。自分の作品(とわたくしごとき素人が言うのもおこがましいが、それはそれとして)はどこまで行っても自分の作品である、と思う。この考えは今でもまったく動いていない。

で、ここから先が実は以前と違うことなのだが、発表した作品は自分(「作者」)のものであると同時に、読んでくれる誰か(いわゆる「読者」ですな)のものでもあるのではないかと考えるようになっているのである。作者にとって、作者としてそれを書いた意図とか思い入れがあるのだが、それは実は読者にとっても同じことで、読者が読者自身としてその作品を咀嚼するという読者固有の行為があるのではないか。子どもはいつまでも子どもだけど、自分の世界で自分をつくって行けよ、みたいな。

で、こういうことを言っていると、きっと子どもに「おやじもずいぶんとおとなっぽいことを言うようになったものですな」などと言われるのである。くそ。





Siri


俳句関係専用にしているGmailアドレスがあって、最近は、俳句ポスト365に投句すると帰ってくる確認メールとか、一句一遊にメール投句した控えとかだけが溜まっている。さっき、そのアドレスのメールボックスをずーっと遡っていったら、一昨年の暮れから去年の5月頃までのツイッターのお知らせメール(☆とかリツイートとかの)があって、思わず一つ一つ開いて読んでしまったわけです。

現在書いているのと方向は大してかわらないのだけれど、正直、最近書いているのよりも面白いんじゃないかと思ったわけです。大して進歩はしてないと自覚してたけれど、実は、進歩どころか後退していたかあああああ、と。まったく嘆かわしい。

それで、残っているtwitterのお知らせメールの最古のが、2011年12月16日のツイートをみさん(おお、懐かしい!)とるいべえさん(おお、懐かしい!)がファボってくれたことの通知。そのファボられたツイートは、

黄泉はまだ滅びてゐぬかSiriに訊く

であったりする。ためしに2年ぶりにSiriに同じ質問をしてみたが、相変わらずはぐらかされた。年々歳々花相似たりというやつ。



2013年9月9日月曜日

和解


ああ屁糞葛が匂ふ人類忌



(昨日、ここにいろいろ書いて、今日ちょっと書き足してからアップしようとおもってたんだけど、全部消えてもうた。声も出ない。)













鰯雲かたちあるものから消える



2013年9月1日日曜日

八月


空蟬を潰す戻らないと決めて

抽斗が開かない顔が取り出せない


突如建つ尖塔に似て晩夏光

赤富士はあの日の記憶かもしれぬ


壮年いまや地べたを這へる悪茄子

邪なわたくしがゐて稲の花

邪なあなたが嫌ひ稲の花


秋雷や気配してから鳴る電話







八月見切りセール。脈絡がないがそこが八月らしいところ。

それにしても大変な八月であった。梅雨明けの1週間の暑さを耐えたらちょっと涼しくなったので、今年はイケルのではないかと思ひ、おいらにも悪茄子の強さが身についたかと思ったのが大きな間違い。いつしか暑さは我が身体を蝕みて八月も十日を過ぎるともはや虫の息、、、
というようなことを書いている今日はすでに九月。もはや我が天敵八月は去ったのである。庭で鳴く虫の声も心地よくなんだか体の芯の辺りから復活してきている気がする。

何か真面目に書きたいことがあったような気もするが、またこれからぼちぼち書くことにして八月尽。

2013年8月16日金曜日

切れ端


  フランシス・ベーコン展素描


君、顔が透けてゐるよ誰かゐるのかそこに

固有名詞捨ててしまへ 淡くなるよ身体

半透明な鬱だな 死はちゃくちゃくと

俺の中でいつも叫んでゐる誰か

抽斗が開かない顔が取り出せない

肩から消へ始めるのかさうかと思ふ

身体は半ばここにある 残りはどこ? さあ




2013年8月13日火曜日

夕凪


島国や風鈴の音が追ってくる

アメリカの銃の重さの残暑を猫は

パッピンス小豆は機影かもしれず

夕凪や死者の鼓膜の雪の音

永遠、永遠、蟬のことばで蜩が






とにかく暑い、暑い以上に倦怠感が、と言い出せばきりがない。死ぬときはきっと残暑の頃に発狂して死ぬんだなど思う。ホントに早く涼しくなってほしい、切実。とか言いながら来週は南洋へ。大丈夫か。

2013年7月13日土曜日

レコジャで一句


靴ずれや目の前をああ金魚売

さつきから水からくりを見てゐたり

納涼やそろそろ首が伸びる頃



週刊俳句のウラハイというところで、俳人の山田露結さんという方が「レコジャで一句」という企画をされている。ちょっと古めのレコードのジャケット写真をお題にして一句詠もうという趣向。そこのコメント欄に読者の皆さんも一句したためていて、面白そうなので参加してみた。それでできたのが上の3句。

それで、やってみて気が付いたのですが、これって写生だな、と。

大きな声では言えないのですが、わたくし、事物をつぶさに観察してそこから一句をものすという写生ということをしたことがないわけです。だいたいが、てきとうに言葉を舌の上で転がしているうちに何かできるのを待つ、という感じ。しかし、それでは「レコジャで一句」にはならないわけで、一生懸命写真を見るわけです。しかも、手練れの方々がすでに一句を書き込んでいたりすると、すぐに目が行きそうなところはもう詠まれている。そういうわけで、写真をひたすらじーっと見つめて何かが引っかかるのを待つ、という経験をしているうちに、ああこれが写生ね、と思うに至ったわけです。

そんなの写生じゃないよ、と言われそうですが。

さて、俳句が写生なのかそうでないかは、ずーっと以前に引用した斉藤斎藤さんの理論に従えば、実は「読み」の問題であるわけです。つまり、読者がその句を読むことで、作者が何を見ていたかを再構成できるかどうかが重要。ということは、上に挙げた句を読んで下さった方が元になったレコジャを正しく想像できるかどうかということが大事。(というわけで、「レコジャで一句」を見にいくまえに元の写真を想像してみてくださいね。)

2013年7月6日土曜日

蝸牛


かたつむりの跡がびつしり顔洗ふ

人死ねば人が弔ふ夾竹桃

物忌みや水棲昆虫図鑑よむ

さるすべりしろばなならばすきにせよ

初蟬の怖じ気を思ふ夜明けかな



今朝はとうとうクマゼミが鳴きました。もう梅雨明けなんでしょうか。とても暑いです。夜も暑いです。明日の朝はもっと沢山鳴くと思います。もう気力、体力の限界。死ぬ死ぬ鷺。

2013年6月24日月曜日

夏木立



影うごき海底めきぬ夏木立

誰かゐる気配すれども夏木立

さて雨の音してやがて夏木立




高い木というのは突然生えてきたりはしないもので、立派な木立は年がら年中、立派な木立である。しかし、夏木立といわれれば、ああそうだ木立の存在感がやっぱり夏やね、とか思う。単細胞と言ふなら言へ、というところ。
(しかも、そういうときに脳裏に浮かぶのは日頃の生活圏内の木立ではなくて、なぜか時間的、空間的に離れた遠くの木立であったりする。単細胞生物独得の、記憶の美化作用とでもいうものが働いているに違いない。)






杉を見てまたまぼろしの水を打つ 飯島晴子


2013年6月18日火曜日


強情な我ゐる鰺にぜいごある くろやぎ


というわけで「我」の句特集でも。と思ったのだが多すぎてとても選びきれない。
まずは先達から。

人に家を買はせて我は年忘れ 芭蕉

我と来てあそべや親のない雀 一茶

蠣むきや我には見えぬ水かがみ 其角


おつぎ。我といえばこの三俳人(世間でそう思われているかは知らないが)。


我思ふまゝに孑孑うき沈み 高浜虚子

来る人に我は行く人慈善鍋

錦木に寄りそひ立てば我ゆかし

枯荻に添ひ立てば我幽なり

見下ろせば秋の山々我をめぐる

我を指す人の扇をにくみけり

蛇逃げて我を見し眼の草に残る

浮み出て我を見てゐるゐもりかな


子に来るもの我にもう来ず初暦 加藤楸邨

銀河天に茄子むらさきに我は我に

わが影の我に収まるきりぎりす

冬蜂と我とエスカレーター天にゆく

妻は我を我は枯木を見つつ暮れぬ



皆行方不明の春に我は在り 永田耕衣

陽炎や我に無き人我を出る

鰊そばうまい分だけ我は死す

物として我を夕焼染めにけり

野菊道数個の我の別れ行く

薄氷や我を出で入る美少年


同じ「我」というのに、違う意味で使ってるんじゃないかというくらい三者三様です。面白い。

以下、あの人この人。

サングラスして我といふ闇にゐる 満田春日

滴りは石筍を打ち我を打ち 阿波野青畝

跪く我は異教徒青畝の忌  平田冬か

物買へる我の後に寒念仏 星野立子

咳き込めば我火の玉のごとくなり 川端茅舎

目覚めがちなる墓碑あり我れに眠れという 折笠美秋

君琴弾け我は落花に肘枕 芥川龍之介

黄落の我に減塩醤油かな 波多野爽波

栄螺の棘どれかひとつは我を指す 田川飛旅子

我狂気つくつく法師責めに来る 角川源義

我こそは浮島守よからすうり 夏石番矢

万両の日にぬくみゐる我もまた 森澄雄

シベリヤ見き眼にて白鳥我をみる 高野ムツオ

我を見ぬふりをしばらく寒鴉 行方克己

我を遂に癩の踊の輪に投ず 平畑静塔

怖るるに足らざる我を蟹怖る 相生垣瓜人

我病みて冬の蝿にも劣りけり 正岡子規

行く我にとゞまる汝に秋二つ

待遠し俳句は我や四季の国 三橋敏雄


俳人はとにかく「我」が好きなのであるらしい。

2013年6月15日土曜日

六月


あ、まだそこにいた六月のさざめきのなか


西東三鬼の句に「まくなぎの阿鼻叫喚を吹きさらう」というのがある。先日、ウェブで何か読んでいたら、この句の下五を「ふりかぶる」にした句が出てきた。それでちょっと調べてみた。「西東三鬼全句集」(都市出版社、1971)を見ると、句集「夜の桃」のところに、こんな具合に並んでいる。

まくなぎの阿鼻叫喚を吹きさらふ

 まくなぎの阿鼻叫喚をひとり聴く  現代俳句22・5

 まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる  三鬼百句23・9

ちなみに「夜の桃」は先行する「旗」(1937)等からの再録を含む句集で、発行は昭和23年9月。上に示された「ふりかぶる」の「自註句集『三鬼百句』」とほぼ同時に出ている。ちなみに「夜の桃」での表記は実は「吹きさらう」であって(ママ)が付いているとのこと。手元にある「西東三鬼句集」(芸林21世紀文庫)では「吹きさらう」としている。

三句を比較してみると、最初に発表された「ひとり聴く」は、まくなぎに頭を入れてしまった様子を静的に捉えて描写していることに気付く。これに対して「ふりかぶる」は、まくなぎに頭を突っ込んでいく様子を主体の動作として描写している。「吹きさらう」はさらに、主体がまくなぎに突っ込んでいくだけでなく、まくなぎも主体によって崩されていく様子を描写している。

「ひとり聴く」→「ふりかぶる」→「吹きさらう」の順番で改稿されてきたのではないかと思う。個人的には「吹きさらう」が好き。

角川の歳時記では、まくなぎの例句として「ふりかぶる」を挙げている。ウェブで検索してみても「ふりかぶる」が多い。「増殖する俳句歳時記」でも清水哲男さんが「ふりかぶる」を挙げている。清水さんの文章では、句の引用元として上に引用した都市出版社版の「西東三鬼全句集」を挙げているので、三つの句を比較したうえで「ふりかぶる」を選んでいると思われる。

同じようなことは他の句にもあるようで、たとえば、「旗」(1937) の

ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日

が、自註句集「三鬼百句」(1948.9)では

ピアノ鳴りあなた聖なる日と冬木

に改稿されていることについて、週刊俳句で取り上げられている。週刊俳句の記事には書かれていないのだが、実は、この句も「夜の桃」(1948.9)に収録されていて、そこでは元通りに「冬木と日」になっている。

「夜の桃」と自註句集「三鬼百句」の発行がほぼ同時なので、三鬼本人としてどちらを最終形としたかったのかはよくわからない。しかし、ここによると、「この『自註句集・三鬼百句』の原形は前年の昭和二二(一九四七)年五月に新俳句人連盟総会に出席するために神戸より上京する車中で認められたものである」とのことなので、そうであれば、「夜の桃」に納められている句が作者としての最終形と見るべきなのかもしれない。


2013年6月10日月曜日

理屈


天國も地獄も理屈竹夫人



日曜日に久々に運動した。今日は全然駄目。

2013年6月5日水曜日


虹架ける轟音我は聞かざりき




虹が生まれるところを見たことがあるという人がいて、とても口惜しかった。ひとの経験をうらやむ年齢でもないのだけれど、これは別。

虹といえば、子どもの頃、家の近所にすごく立派な虹ができたことがあって、その根元は保育所の裏のお寺のあたりにありそうだった。なんとしても消える前に行かねばならぬと、三、四人の仲間と夢中で走っていった覚えがある。バス停の下の坂をぎゃあぎゃあ言いながら走り下りているあたりは鮮明に記憶しているのだが、雑貨屋の前あたりで記憶は途切れ、その先がどうしても思い出せないのである。

2013年6月3日月曜日

鵜飼


黄昏るる文明幾つ鵜飼舟








今日は朝から「何億光年輝く星にも……」がずっと頭に居座っていてお願いですから消えて下さい。


2013年6月2日日曜日

共感性(みづ 補遺)


夫に告ぐべきことも無し立葵  くろやぎ

 これをスタートとして、

妻に告ぐべきことも無し立葵

 これは全然チガウ感じがする。かといって、

夫に告ぐべきことならず立葵

 これだと差し迫った感が強い。深刻すぎる。

人に告ぐべきことも無し立葵

 ふーん、どうでもいいよ、て感じ。

人に告ぐべきことならず立葵

 ひとりで地べたを這って悶えている、勝手に悶えてろよ、というか。まったく共感できない。

夫に告ぐべきことも無し鰯雲

 これはどうしようもなくチガウ。

夫に告ぐべきことならず鰯雲

 うーん、惜しい。(惜しいのか)

 蒲団に入って頭の中で遊んでいて面白かったので、書いてみた。



鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨


2013年5月29日水曜日

みづ


太古より人に雨降る立葵

夫に告ぐべきことも無し立葵

時に人みづにも棲まひ立葵



私に夫はいないのだけれども。

中上健次の「千年の愉楽」に出て来る花はタチアオイだとばかり思い込んでいたが、さっき確認してみたら、どうやら記憶違い。ちょっと複雑な気持ちである。

2013年5月27日月曜日

尽くす人


筍飯海路遙かに来たりけり

筍飯時に真実受け容れがたく

三光鳥やにはに水の匂ひして

小満の摑まり易き吊り輪かな

小満や仔猫の糞も匂ふなり

観念重たし夏蜜柑は枝のうへ

新月へと放り上げたは夏蜜柑

蜘蛛の囲にペルシアの王をふと見たり

蜘蛛の囲や真っ青な空に鳥がいない

蜘蛛の囲や蜘蛛も逃げるを許されず



「兼題」に引き続き、夏井いつきさんの一句一遊と俳句ポスト365に投句した句から。「縮こまっているような」と書いたが、それは要するに、具象的な季語(芹、種蒔き、蚕、鯉幟、粽、筍飯、三光鳥……)の兼題に対して、どうしたらいいものかと戸惑っていたのだと思う。

考えてみると(考えてみるまでもなく)、これまでは、言葉が2,3個繋がった瞬間に詩の切れ端みたいなものがまずできて、そこに、どうかすると、冬の太陽とか夏の月とかいう、言葉としての存在感の弱い季語が入り込む、という作り方をしてきた。

ところが、兼題で投句を始めてからやっていることはまさに正反対で、具象性の強い季語を出発点にして、それをどうやって生かすかと考えている。その結果として何が起きているかというと、拾い上げてくる言葉の範囲を自分で狭めている。それで、前回挙げた句や今回の句のいくつかのような縮こまった感じ(自分の「感じ」なので、他人からは違った「感じ」かもしれないが)になってしまうのだと思う。一生懸命に季語に尽くしている感じ。

相手のためと思って一生懸命に尽くしても、それは必ずしも相手のためにならないということはよくある話で…… それで、考えを改めることにした。最近では、季語をやっつけてやろう、とっちめてやろう、と思っている。いるのだが、さてさて敵も然る者。(いや、敵じゃないんだけど)

2013年5月19日日曜日

夏蜜柑

永田耕衣に、

夏蜜柑いづこも遠く思はるる

という句があって、とても好き。解釈とか具体的情景とか、そういうことは考えたことがなくて、ただ、ああそういうものだなあと思うだけでとにかく好きな句だった。それが、先日、夏蜜柑で何か句を作ろうと思い立って、しかし夏蜜柑の句といえば去年沢山作ったのでなかなか出てこない、それで耕衣のこの句をぼんやり眺めていた。その時のことである。

なんとはなしに、夏蜜柑を外して中下だけで眺めてみた。

   いづこも遠く思はるる

あーっ!と思った。思い当たることがあったのである。

かつて、外出中に急に「周囲の世界が意味を失ってしまった」と感じられることが続いたことがある。気になってものの本で調べたところ、どうも、離人症的な症状の一種で、現実感喪失とか疎隔とか言われる現象らしい。ここの説明によると、現実感喪失とは、「外的世界の知覚または体験が変化して、それが奇妙に、または非現実的に見えること」であって、「具体的には、自分の家などなじみの場所を知らない場所のように感じる、家族や友人がよそよそしく、知らない人のように、ロボットのように見える」などがあるとのことで、なじみの場所であっても知らない場所のように感じる、というあたりはまさにソレソレ!という感じである。

それで、耕衣句の「いづこも遠く思はるる」は、そのまんまだと思った。まさに文字通り医学書から引用してきたような表現ではないか、ということは、ひょっとするとこの句を作った耕衣は僕と同じような現実感喪失の感覚を持っていたのではないか、と想像したというわけである。

それで話はつづいて、これにあらためて上句の「夏蜜柑」をつけてみる。

夏蜜柑いづこも遠く思はるる

すると、なんということでしょう。医学書そのままの症状記載であったものが、詩に戻る。

なるほど、と思った。これは、夏蜜柑の色とか酸っぱさとかそういう鮮烈な実在感が、現実感を失いかけている作中主体を現実に繋ぎ止めている、そういう句ではないかと分かった気がしたのである。分かった気になった頭の中には絵が浮かんでいて、風に吹き飛ばされそうになっている人物(これは白黒の輪郭線だけで描かれている)が夏蜜柑(これは天然色)に両手でしがみついているのである。イラストに描いて載せればよいのだが、絵心の持ち合わせがない。ともかく、他の人にとってどうなのかはわからないが、僕にはすごくリアルな理解に至ったと思っている。

もし今度また現実感喪失に襲われたら、この夏蜜柑にしがみついてみることにする。

夏蜜柑いづこも遠く思はるる

2013年5月12日日曜日

兼題


芹洗ふにんげんのみな俯いて

逝くときは一握の籾まくやうに

人の声消えて蚕の咀嚼音

畳まれて仔鯉ののぼり母のうへ

山ぎはの病室父に粽解く

以上5句、夏井いつきさんの兼題で作ったもの。ううむ、並べてみると、なんだか縮こまってゐるやうな、、、

顔洗ふにんげんのみな俯きて

逝くときは一握の砂まくやうに

そのうち2句は、詠み直すと無季になってしまうのでした。
 


2013年5月11日土曜日


癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ 相馬遷子

片蔭の生るゝごとく癌うまる 加藤かけい

癌病めばものみな遠し桐の花 山口草堂

また夜が来て花冷えの癌病棟 竹鼻瑠璃男

みこまれて癌と暮しぬ草萌ゆる 石川桂郎

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋

癌癒えてよりの歳月冷奴 添野かよ


癌は英語でcancer、蟹座もCancerである。なんでかな、とずっと思っているのだが、まだ調べてない。

日本では半分以上の人が最後には癌で死ぬことになっているので、癌を患うというのは実はそれほど珍しい体験ではないのだが、体験中は結構どきどきしたりするものである。飛び箱12段に向かって助走している最中くらいのどきどき感がずうっと持続する、みたいな。よって、癌を詠んだ句は結構たくさんある。自分の癌を五七五に詠んで季語を添える、という行為はどんな感覚を伴うものなのかと思う。

上に挙げた何句かのうち最初の相馬遷子の句は、なにか突き放したようなところがある。遷子は医師として多くの癌患者を診たのちに、自身も癌を得て二年の闘病生活の末に亡くなった。上の句は発病以前のようにも見えるが、実際は発病後の句であるらしい。

2013年5月8日水曜日

レース


夏井いつきさんが松山のラジオでやっている毎日10分間の俳句番組というのがあって、それは視聴者、じゃない聴取者、今風に言えばリスナーの投句を募っていることを教えてもらった。で、愛媛の放送局なので聞くことはできないのだが、驚いたことに、毎日の放送をリスナーが勝手に文字に起こしてその日のうちにネットの掲示板に掲載している。放送局も知っているはずだがとやかく言わないのが偉い。おかげで日本中、世界中どこにいても文字で毎日の放送を読むことができる。インターネットの正しい使い方。

一つの兼題で週5日の放送だが、構成が上手で、月、火、水、木、金と別々のドラマがあり、読んでも面白い。それでおもわず投句してみようと思い立った。立ったのだが、実は兼題が難しい。粽、三光鳥、筍飯、レース、と来た。粽? 子どもの頃に食べた覚えはない。なので、全然イメージが湧かない。かろうじて数年前に実家に帰ったときのことを思い出したので句にした。思いはある。が、俳句としてはベタである。おつぎ、三光鳥。これはさらに厳しい。インターネットの(正しいかどうかわからないが)便利な使い方の一つであるところのユーチューブで映像を漁って、そういえばこれはジュビロのマスコットだ、などと思いつつ、その中のある映像のイメージででっち上げた。なんとなくけしからん感じの作り方である。せめて動物園にでも見に行けよ、という感じである。まあしかし兼題だから、と自分を誤魔化す。次は筍飯。これは好き、オッケー。といいつつ、これまで筍飯で俳句を作ろうなどと思ったことはないことに気が付く。いつのまにか夏井いつきに洗脳されているのか俺、などとうじうじする間もなく、次はレース。ええと、夏の季語でレースっていうとボートレースのことかな、と思いつつ角川歳時記をひもとくと、編むレースのことらしい。

ううむ、これは厳しい。レースを編んだことないし、レースを編む人を周りで見たことも多分ない(一切記憶にございません、というのは覚えているのに忘れたふりをするときに使うセリフらしいが、ホントに記憶にない。)。どっからどう攻めてみてもなんのイメージも湧かない。レースのカーテンでも良いらしいが、レースのカーテンにどうこうという思いがでてこない。ううむ、こまった。試練の時である。


レース編む夜とぶ鳥を思ひつつ 柴田佐知子

慢性的愛やレースのカーテンや 池田澄子


柴田さんの句は角川歳時記の例句に挙げられていた。愛の2句。入り込む隙がないではないか。

2013年4月26日金曜日

遠隔転移


   遠 隔 転 移

目に鱗肩に鱗翅が生えて春

人生の悔いを演算する屍体

欅の末梢神経標本

先つちよを千枚通しで突く遊び

櫱を三本剪つて昂ぶりぬ

あはれ葉桜よあはれランゲルハンス島

春深し鵠沼義肢製作所


相変わらず一人で好き勝手に作るのが好きなんだが、最近ご縁をいただいてネットの投句サイトに投句するようになった。なってみると人に何か言われたりするのも面白いと思うようになって、投句先が一つから二つ、三つと増えたりもしている。座の雰囲気に合わせるつもりはなくて好き勝手な句を投げ込んでいるつもり。とはいえ、兼題が蚕とか種蒔きとか言われると型に囚われるというか自由奔放にできないところが技術の伴わない素人の限界である。

それで、そういえばずっと以前にもネットで投句したことがあるのを思い出した。週刊俳句で投句を募っているのを見て、いっちょやってみたろと出したのが上の七句。俳句はじめて半年くらいでちょっと苦しくなってきた頃。縛りは「演目義経千本桜」で、一字ずつ入っている。選者の馬場龍吉さんが2句拾ってくださって、そういえば嬉しかったような気がする。もっとも、当時は馬場龍吉さんがどなたか存じなくて、もう一人の選者の佐藤文香さんに捨てられた悲しさの方が大きかった。(馬場さんご免なさい、私が馬鹿でした。)

投句したときは標題はなかったが、何もないのもアレだと思ってさっきつけた。当時、折角出すので七句で塊になるようにとテーマを考えたので、だいたいそれっぽいがちょっとずれている。人生4年分のずれ。4年前っていうと随分だが、それからどれだけ変わっているのかいないのか。(最後の句の中六をなんとかしたくてできなかったのだが、さっきひとしきり考えてみたがやはりうまくいかない。進歩してゐないということですはね。)

2013年4月20日土曜日

にんげん


まくなぎの高さにんげんの高さかな

にんげんに感情ありて薄暑かな

にんげんに感情ありて五月闇

にんげんのおほきな頭だとおもふ

にんげんにある鳥の器官で啄みぬ

にんげんみな身中に蛇飼ひし頃

八月の海にんげんがたくさん

にんげんを静かに遡上して吐息


旧ツイッターアカウントからにんげん句を採取してきた。3年前の春から翌年暮れまで。こうしてみると全然進歩というものがない。「にんげん」を漢字で書くと「人間」なんだけれども、どうやらこの作者は、「にんげん」と「人間」とは違う意味になると思っているらしい。作者がそう思うのはそれはそれで結構だが、果たしてその違いは、読み手と共有されているのだろうか。

麦畑


死後歩く道あるならば麦の秋 高野ムツオ


Vincent van Gogh "Wheat field with crows" (Van Gogh Museum)
Painted in July, 1890, a few weeks before the painter is believed to have shot himself with a revolver.

2013年4月13日土曜日

ふしあはせ


たましひがなくてふしあはせなやかん

僕はながいこと本といえば小説ばかり読んでいました。小説というのは決まりごとはあまり無くて基本的に何をしてもよいという世界であって、作者は好きなことを書けばよいし(売れる売れないは別として)、読者としても好きなものを好きなように読めばよいわけです。

それで小説の中には、読者を不幸にすることを主たる狙いにしているものがあるわけです。普通にまっとうな読書生活をしようとしている読者が道を歩いていると、あるとき足もとから手を伸ばして地中に引きずり込もうとする。いやだいやだと思ってあがいても、逃れることはできず、ついに引きずりこまれる。縛り上げられたり、窒息させられそうになったりしたあげく、もう小説読むくらいでどうしてこんなに不幸にさせられるのか、と打ちのめされてしまう、と。そのようにしてなおも読み続けていくと、あるときふと、どこかの小部屋でひとり正座してじっと鏡を覗き込んでいる自分がいるのに気づく、と。まあ、そういうやり方で読者を翻弄するわけです。

それでまあ、俳句にもそういう不幸系、ふしあわせ系みたいなジャンルがあっても良いのではないかと思うわけです。にんげん誰しも幸せなことばかりではないし、ほら、好きこのんで寒い冬山で苦労することを選ぶひともいるわけだから、、、というわけです。

以上、さっき思いつきました。

独立の一句としてそういう句は実はたくさんあると思いますが、10とか10x10とかの塊で作者も読者も一緒になってもがき苦しむ、みたいな世界があるのもいいなあ、と。

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というようなことを思いつきで書いて一晩置いておいたら、放哉とか山頭火みたいな人達は句集まるごとふしあわせ系なのではないのか、と脳内の誰かが言いました。そうかもねーと呟きながらも、それはなんか違うなーと思ってしばし黙考。考えてみると僕が想定していたのは、フィクションとしてのふしあわせ系俳句であって、放哉や山頭火のノンフィクションあるいは日記系文学としての俳句とは違うのでした。

そこであらためてはたと気がついたのは、そもそも俳句の主流、本流はノンフィクションであるということでありまして、うえに書いたことは要するに、ある主題を持ったフィクションとしての句群を100句くらいの塊で構成するということなんだなあと漸く自覚した次第でござる。むーーー、大変そう。




2013年4月10日水曜日

洗ふ


顔洗ふ贖罪のごと俯いて

というわけで、「洗う」がちょっとしたマイブーム。いろんなものを洗ってみている。

アメリカのミュージックビデオなぞ見ていると、よく女性が車を洗っているシーンが出て来る。女性ミュージシャンだと本人のこともあるし、男性ミュージシャンだと本人ではなく女性モデル。日本文化的にはピンとこないが、彼らにとっては何かの記号なのだろう。

それで、車ではなくても、何かを洗うという動作には、何か象徴的な意味が乗り込み易いような気がする。いろんな人が顔を洗うシーンをビデオに撮って繋いでみたら面白いと思う。みんな同じ姿勢で ----- つまり、俯いているはずである。顔にかぎらず、グラスを洗う、Tシャツを洗う、水菜を洗う、ズック靴を洗う、、、

いろいろ洗うものはあるが、そのなかで、手を洗うという動作をよく観察すると非常に面白いことに気が付いた。人間の身体でもっとも繊細に動かせるのは(右利きの人であれば)右手であって、その次が左手のはず。手を洗うという動作においては、このナンバーワンとナンバーツーの器用器官が絡み合って協働するわけで、見ていて面白くないわけがない。

と思うのだけれど、この文章では、僕がいったい何をどう面白いと思っているのか伝わっていないのではないかと思う。

この面白さを表現する言葉を見つけたいなー


2013年4月7日日曜日

右手左手


左手は右手の雲丹を知らざりき 櫂未知子

春暁の左手の知る右手かな 長谷川櫂

ポケットの底のボタンを握りおることすら右手はすこしも知らず 山崎方代

知る知らない系。

東京は暗し右手に寒卵 藤田湘子

雑踏をゆく牡蠣提げし右手冷え 佐野美智

右手つめたし凍蝶左手へ移す 澁谷道

右手冷たい系。

わが肩にわが左手の春の暮 攝津幸彦

そういえばそうだ。

左手に右手が突如かぶりつく 阿部青鞋

そういえば逆は無い。左手は控え目。

昼寝覚左手ふいと余りたる 大石雄鬼

余るときも左手。控え目だから。

右手で描く
その手
桑名の左手よ  酒巻英一郎

「その手」から「桑名」が出て来るところに日本文学の命脈がある。

四月馬鹿完全主義の右手かな 内田美紗

ふうん。

夏の雨かすかに触れてゐる右手 夏井いつき

ああ、軒下で雨宿りしていますね、これは。青春でござる。

左手で粽を結ふを見てゐたり 大山文子

これも写生ですね。粽を結うのをさっきからぼーっと見ている。ふと、あらあの人左利きだったのね、と気がつく。その曖昧な時間の流れを逆転して再生してみせている。

右手置く一万年後の春の辺に 高岡修

あ、これはなんだろう。飛び越え方が好き。



石鹸で手を洗っていて、考えごとをしていたのか、単にぼうっとしていたのか、ふと気がつくと右の手と左の手がくねくねと絡み合ったり滑ったりしながら形を変えていく。そのさまが面白くて、自分の手ではないような気がして、しばらく眺めていた。そのことを俳句にしてみようと思ったのだが、なかなか難しいのである。挫折死そう。

とりあえず類想句はあまりなさそうなのでもうちょっとねばる。

2013年4月6日土曜日

ホオジロ


失語とは葦原に頬白の啼く




鳥の俳句を10句ばかり並べてみるのも面白いと思ったのだが、手持ちが烏、雲雀、燕、鵠、雁くらいしか思いつかない。そう考えると実に平凡である。丹頂とか鶺鴒とかガビチョウとかキビタキとかダチョウとか蝙蝠とか、いろいろ詠まねば(あ、ダチョウはあるかもしれない)。ということで鳥づくしはまたの機会にします。

2013年4月2日火曜日

オオイヌノフグリ


今の間のおういぬふぐり聖人去り 攝津幸彦

今の間の王/いぬふぐり/聖人去り、でしょうか。何か、諍いでもあったんでせうね。

レールより雨降りはじむ犬ふぐり 波多野爽波

雨はレールから降る。ふむふむ。

犬ふぐり一ぱい咲いてゐる孤独 加倉井秋を

これは分かる気がする。にんげんだもの。「一ぱい」が曲者で、小学3年生の作文みたいに見せかけておいて、いきなりズドン。

犬ふぐり屯す郵便受の下 高澤良一

この句をぢつと見ていると、犬ふぐりがリアル犬の陰嚢に思えてくるという、、、 異化というやつですな。

跼みたるわが影あふれ犬ふぐり 深見けん二

わかります。カメラで撮ろうとしていますね、これは。

口あけて死者来る朝の犬ふぐり 坪内稔典

稔典先生のこの句はさっぱりわからないです、正直(←賛辞


植物の名前としてはイヌノフグリ(犬の陰嚢)であって、でもそれだと6音で使いにくいので、のを取っぱらって5音にしたという俳句的ご都合主義の季語。まあ、日本語の世界からみると、業界用語、隠語、俗語の一種ですかね。しかも、そのへんに咲いているあの花たちは、ほとんどがオオイヌノフグリであって、イヌノフグリではないというのもなにか気になる。はたまた、オオイヌノフグリという植物学的命名自体も「大/犬の陰嚢」のつもりが「大犬/の/陰嚢」と読めてしまってアレだということもある。

そんなこんなが幾重にも重なって、俳句としては「犬ふぐり」ででよいのだろうが、当のオオイヌノフグリたちにとっては、犬ふぐり、犬ふぐり、と言われて、なんか小馬鹿にされているような気がしているのではないかと、他人事ながら心配になる。


ねころんでみよおおいぬのふぐりなり くろやぎ


2013年3月17日日曜日

ロボット


ロボットのやうに向き変へ兜虫 伊佐新吉

ロボットにもの言ふ迂闊夜の長し 笠原ひろむ

更衣なきロボットと住む未来 荒野桂子

日永かな動いてロボットだとわかる 宮崎斗士

十六夜やもしもロボットなら笑ふ 宮本佳世乃

花冷えやロボットころんで起きあがる 遊佐光子


ツイッターでどなたかが尾崎放哉のボットがほしいといわれるので作ったことがある。ボットというのは英語のbotで、もとはrobotから来ている。robotだと2音節だが、英語の感覚では可愛らしいもの、愛着深いものは1音節の語が相応しいらしくて、cat, dog, mouse, cow, pig, snake……皆そう、それでbotになっているのだろうと思う。その後、放哉のボットは増えて、いまは6,7人の放哉が句を囀っている。僕のボットは時々うごかなくなる。そのたびに起動しなおすのだが、あるとき再起動するのが面倒くさくなって手動で動かしてみた。手動でボットを動かす、というとえらそうだが、要は自分で放哉の句を選んで書き込むのである。1日に何句も書くのは面倒なので、1句か2句、コーヒーで一服のついでに書く。

そうしてみると面白いもので、句集をよく読むようになる。自動のときは季節もお構いなしでコンピュータが発生する乱数にしたがって適当な句を囀らせていたのだが、自分で選ぶとなるとそれもどうかと思う。季節に合った句をとか、昨日、一昨日の句との並び具合がどうだとか、気にするようになる。そんなこんなで3ヶ月ほど続いているが、おかげで随分と放哉の句に親しみを覚えるようになった。放哉だけではつまらないような気がしてきて、三鬼のボット(これは前に作って放置してあった)やら耕衣のボットやらのお世話をするようになった。実際にしていることは句集から句を選んで書き込むというだけのことなのだが、ボットという名前が付いているのでなんだか自分がロボットになったような気にもなる。

だいたいが日本人というのはヒト型ロボットが好きで、それは鉄腕アトムの時代からかと思う。いや、そもそも日本的アニミズムの世界では一木一草に神が宿っているのだし、道ばたの石ころにも命を見てとるのである。当然の成り行きとして、鉄と何かからできているロボットに魂を見出してしまうことになる。 伊佐さん、笠原さんは多分、まだロボットをアチラ側の存在と見ているのだろう。西洋文明に染まってるね(笑)。荒野さんの句は同じようにも読めるのだが、ひょっとすると不死のロボットと暮らす未来を待ち焦がれているのかもしれない。宮崎さん、宮本さん、ひそかにロボットへの愛着が芽生えていますね。そして遊佐さんのまなざし、嗚呼!


キューブリックが構想したが果たせず、スピルバーグが監督することになったA.I.のラスト。ロボットは日本人だけのものではないのだ。

2013年3月9日土曜日

死後


冬日くまなし便器は死後のつややかさ 高野ムツオ

死後歩く道あるならば麦の秋 高野ムツオ

わが死後を書けばかならず春怒濤 寺山修司

粽結う死後の長さを思いつつ 宇多喜代子

母の死後わが死後も夏娼婦立つ 鈴木六林男

わが死後の植物図鑑きつと雨 大西泰世

死後涼し光も射さず蝉も鳴かず 野見山朱鳥

死後も目はある筈雪を見てゐたり 永田耕一郎

生前も死後もつめたき帚の柄 飯田龍太


コメント欄で何か書いていて思い出した死後体験のことなど書いてみる。

4年ほど前にツイッターを始めて、それがきっかけで俳句を作るようになった。次第にお知り合いも増えて、俳句もどきをつくってはタイムラインに放流するのが楽しくなった。しかし、そのうちにどうも何かがちがうように感じられてきた。説明するのは難しいのだが、実生活に喩えると、いつも大勢の人がいる中で暮らしているような落ちつかなさ、とでもいうか。多少内向的というか、人とわいわいするのが嫌いなわけではないが、一人遊びもせずにはいられないようなところがあるからかもしれない。実生活上でもいろいろと余裕がなくなることが重なった。それである日、ツイッターのアカウントを消した。

100人以上の人とタイムライン上で生活していた自分が、自分だけが突然消えた。それで、その時に、これは死後ではないかと思ったのである。アカウント名を思い出せるかつてのフォロイーの書き込みをこっそり覗いてみたりすると、死後の魂が天井あたりから自分の遺体やその周りの親族の様子を眺めているような感覚になったりもした。

まあそういう死後の世界にも慣れたのだが、一つ困ったことがあった。ツイッターの入力枠のなかで十七音を並べてはタイムラインに放流する、という以外のやりかたでは、俳句が非常に作り難いということに気が付いたのである。単に、ツイッターで俳句を始めたからというのではなく、自分にとってツイッターという道具が俳句にぴったり嵌ったからこそ俳句を作り始めた、ということなのだろう。ノートに書くのも試してみたが、全然だめ。頭が動かない。言葉が出てこない。発想が飛ばない。一句書いてはエイっと決別する思い切りとか、誰かに見られるという緊張感が必要なのだと思う。というわけでひっそりとツイッターを再開したというわけである。ふう。

2013年3月3日日曜日

雛祭り


雛飾りひとつちひさな息をして

次の世もまた次の世も雛かな

千年の雨降らすなり雛の間

恋するも糞まるも雛壇のうへ

末世、末世、灯りをつけて雛祭り

仕舞はれる雛は息を止めたまま

雛祭りである。と言っても家に雛飾りがあるわけではない。子どもの頃は雛人形が薄気味悪くて、妹が中学くらいになって雛飾りをしなくなってホッとした。

雛祭りの句は沢山あるのですこしだけ。選び方が偏っていることは自覚している。行方さんの執着ぶりが楽しい。


恥しきこと聞きたりし雛かな 行方克己

雛なにか言ふ見しことを見ぬことを

雛の間をしばらく灯し置きにけり

恐ろしきことをたくらみ真夜の雛

雛の間をかくれんぼうの鬼覗く

雛まつり馬臭をりをり漂ひ来 波多野爽波

正気とは思へぬ顔の雛かな 大木あまり

焚かるるも男雛は正座くづさざり 安藤孝助

2013年2月28日木曜日

椿


まつかになつて息とめてゐる寒椿

俳句を作り始めて半年くらいの頃の句。楽しかった思ひ出しかない。俳句の出来がどうこうということよりも、楽しかった思い出がそのまま句に貼り付いている気がする。他の人にはわからないだろうが、、、

さてそれで、この寒椿の句をつくったすぐ後くらいに、ネットのどこかをさまよっていたら、次の句と出くわした。

家ぢゆうの声聞き分けて椿かな 波多野爽波

うわっこれはすごい、俳句てのはこういうふうにつくるのか、と感心したのを今でも覚えている。感心したなんて書くとエラソーだが、実際、ホントに感心したのである。多分、自分で俳句(というより575の短詩)をつくってみて、575の枠内での言葉の組み合わせ方というようなことを意識するようになっていたからかもしれない。とにかくこれは凄い、と思ったのである。

それで、3年もたってどうして今頃こんなことを書いているのかというと、つい最近、この爽波の句を小川春休さんが週刊俳句で鑑賞していたのを見たのである。
椿の咲く春ともなると窓も大きく開かれ、家の中で交わされる会話が外まで聞こえてくる様子からは、晴れやかな開放感を感じる。椿は家の生垣のものであろうか。中七の末の「て」は屈折を孕んでおり、聞き分けているのは人(作中主体)とも椿の花とも読める。
鑑賞文に引っかかるところがなければどうということもなかったのだろうが、僕は小川さんの鑑賞を読んで、ほおこういう読み方もあるのかと大変に驚いた。俳句の読み方なんて百人百様なわけで、そんなことはわかっているのだが、ことこの句については、出会った瞬間に自分のなかに鳴り響いた「音」が今でもくっきり残っていて、それが小川さんの読みのトーンと全然違うので不覚にもうろたえたのである。

折角だから、忘れないように(ホントは絶対に忘れないと思っているが、いつかは惚ける。惚けてもこれを読めばきっと思い出す。はずであると信じて)、なにをどう驚いたのかここに書いておこうと思う。

まず第一に書いておく。作中主体は家の中にいる。これは絶対にそう。椿も家の中で、一輪挿しかなんかで作中主体の眼前にある(小川さんの文を読んで、椿は外にあってもよいかと、つまり、作中主体は窓から外の椿を眺めているのでも良いかとも思ったが、やはり椿は作中主体の眼前にある、部屋の中にあるのが絶対的に良いと思う)。作中主体がいるその場所は和室で、障子ごしに明るい光がさしている。和室の中は無音。作中主体は風邪でも引いて寝込んでいたのかもしれないが、もうよくなっていて意識はものすごく明晰であると自覚している(ここ重要)。昼間のことで、家族は居間やらお勝手やらあちこちにいる。来客もいるのかもしれない。玄関には速達を届けに郵便屋さんも来ている。それらの人々の声が遠くからあるいは近くから聞こえて来る。作中主体はそれらの声をすべて明晰に聞きとっている。かれはそれらの声を聞きとりながら、それと同時に、眼前の椿の花をさっきからじっと見つめている。いつしか真っ赤な花に魅入られるように、かれの意識は陶然としている。明晰かつ陶然、あるいは陶然かつ明晰な意識。部屋の中は完全に無音。

「家ぢゆうの声聞き分けて」という表現は、作中主体の周辺の空間が「完全に無音である」ことを示している。窓を開け放した家の外から「家の中で交わされている会話」を聴いているのでは、絶対にない。その部屋は洋室ではなくて、紙と木と土でつくられた和室=無音の空間でしかありえない。作中主体はその無音の空間にあって、さっきから真っ赤な椿の花を見つめ陶然としており、その静謐な世界に聞こえてくる「家ぢゆうの声」をすべて聞き分けているのである。

このような状況のあれこれはすべて「聞き分けて」の「て」に込められている。作者は、中七の末の「て」によって、作中主体と椿が陶然として一体となった絶対空間が立ち現れてしまう、ということを唐突に発見してしまったのだと思う。この空間にあっては、「和室のなかで椿を見つめている作中主体」と「和室のなかにぽつんと置かれた椿」はもはや区別が付かない。シュレディンガーの猫状態。至幸の俳句。

(余談だが、これを書いていて、この爽波先生の句を読んだのが2月のことだったのを確信した。というのは、この句を何日もくちずさんでいるうちに、突然、とてもクダラナイ着想が生まれて、とてもクダラナイ句を作ってしまったのが3年前の2月末日であったことを思い出したのである。自分的にはそれはパクリと言われそうだとも思っているのだが、爽波先生からすればそんなクダラナイ句はパクリとも言えないと言われそうなくらいにクダラナイ句だった。)

2013年2月22日金曜日

マスメディア


夕暮はラジオを叩く父となる 仁平勝

牛小屋にラジオ鳴りをり文化の日 武田忠男

円鏡のラジオやせわし年用意 小沢昭一

「昭和30年代」(カッコ付き)ですねー。音とか匂いとか懐かしいものが漂っています。

目刺焼くラジオが喋る皆ひとごと 波多野爽波

不機嫌な波多野さん。その不機嫌が僕にはなぜかとってもリアル。そういえば波多野さんは一時期うちの近所にお住まいだったらしいです。

白魚やテレビに相撲映りをり 岸本尚毅

二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり 金子兜太

昭和40年代から50年代でしょうか。岸本さんは温泉旅館、金子さんは秋葉原のラジオ会館だと思います ← きっぱり。

八月六日のテレビのリモコン送信機 池田澄子

ううむ。テレビはおまけでリモコンが主役ですね。暗喩か直喩かと一瞬悩みましたが、そうではなくて俳句的二物衝撃的くそぢから。凄い。

風死して日本中のテレビ蒼し 正木ゆう子

ううむ。俳句的言い切るちから。

街頭テレビに映れば巨人寒波来る 山口優夢

渋谷でしょうか、新宿アルタでしょうか。なんとかビジョンてやつ。平成なのにすでにとても懐かしい。

極月や死者みな生きてゐる動画 くろやぎ

まあ、ユーチューブです。ようつべ。