永田耕衣に、
夏蜜柑いづこも遠く思はるる
という句があって、とても好き。解釈とか具体的情景とか、そういうことは考えたことがなくて、ただ、ああそういうものだなあと思うだけでとにかく好きな句だった。それが、先日、夏蜜柑で何か句を作ろうと思い立って、しかし夏蜜柑の句といえば去年沢山作ったのでなかなか出てこない、それで耕衣のこの句をぼんやり眺めていた。その時のことである。
なんとはなしに、夏蜜柑を外して中下だけで眺めてみた。
いづこも遠く思はるる
あーっ!と思った。思い当たることがあったのである。
かつて、外出中に急に「周囲の世界が意味を失ってしまった」と感じられることが続いたことがある。気になってものの本で調べたところ、どうも、離人症的な症状の一種で、現実感喪失とか疎隔とか言われる現象らしい。ここの説明によると、現実感喪失とは、「外的世界の知覚または体験が変化して、それが奇妙に、または非現実的に見えること」であって、「具体的には、自分の家などなじみの場所を知らない場所のように感じる、家族や友人がよそよそしく、知らない人のように、ロボットのように見える」などがあるとのことで、なじみの場所であっても知らない場所のように感じる、というあたりはまさにソレソレ!という感じである。
それで、耕衣句の「いづこも遠く思はるる」は、そのまんまだと思った。まさに文字通り医学書から引用してきたような表現ではないか、ということは、ひょっとするとこの句を作った耕衣は僕と同じような現実感喪失の感覚を持っていたのではないか、と想像したというわけである。
それで話はつづいて、これにあらためて上句の「夏蜜柑」をつけてみる。
夏蜜柑いづこも遠く思はるる
すると、なんということでしょう。医学書そのままの症状記載であったものが、詩に戻る。
なるほど、と思った。これは、夏蜜柑の色とか酸っぱさとかそういう鮮烈な実在感が、現実感を失いかけている作中主体を現実に繋ぎ止めている、そういう句ではないかと分かった気がしたのである。分かった気になった頭の中には絵が浮かんでいて、風に吹き飛ばされそうになっている人物(これは白黒の輪郭線だけで描かれている)が夏蜜柑(これは天然色)に両手でしがみついているのである。イラストに描いて載せればよいのだが、絵心の持ち合わせがない。ともかく、他の人にとってどうなのかはわからないが、僕にはすごくリアルな理解に至ったと思っている。
もし今度また現実感喪失に襲われたら、この夏蜜柑にしがみついてみることにする。
夏蜜柑いづこも遠く思はるる
「思はるる」 じゃないかなあ?
返信削除あ、ほんまや、わとはが混ざっとる(^^。たかこさん、ありがとう。そういへば、ふしあはせも直してなかったと思い出して、直しておきました。
返信削除たかこさん、夏蜜柑の天おめでとうございます。
返信削除八十八
○八月六日。晴。朝、例によりて苦悶す。七時半麻痺剤を服し、新聞を読んでもらふて聞く。牛乳一合。午餐。頭苦しく新聞も読めず画もかけず。されど鳳梨(パインアップル)を求め置きしが気にかかりてならぬ故休み休み写生す。これにて菓物帖(くだものちょう)完結す。始めて鳴門蜜柑(なるとみかん)を食ふ。液多くして夏橙(なつだいだい)よりも甘し。今日の番にて左千夫来る。午後四時半また服剤。夕刻は昨日よりやや心地よし。夕刻寒暖計八十三度。(八月八日)
(正岡子規「病牀六尺」)
鳴門蜜柑というのは食べたことが無いけれど、夏蜜柑の仲間でしょうか。
ありがとうございます(^^♪
返信削除驚いて自分でも何だかわからない涙がでました。
子規の俳句のデーターベースのサイトです。
http://www.sakanouenokumo.com/cgi-bin/natu/
何かの参考になるかもしれないので貼ってみます。
去年ツイッターの夏蜜柑でいっぱい作る事が出来たので
夏蜜柑→妊娠 「すっぱし今さら」の句から
離れられたのかなあと思います。
「酸っぱし いまさら」かあ。漢字の酸っぱし の方が酸っぱいのが強いような気もします、そう言えば。
返信削除こういうデータベース、好きです。いろいろ検索してしまいそう(^^。
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