2013年7月13日土曜日

レコジャで一句


靴ずれや目の前をああ金魚売

さつきから水からくりを見てゐたり

納涼やそろそろ首が伸びる頃



週刊俳句のウラハイというところで、俳人の山田露結さんという方が「レコジャで一句」という企画をされている。ちょっと古めのレコードのジャケット写真をお題にして一句詠もうという趣向。そこのコメント欄に読者の皆さんも一句したためていて、面白そうなので参加してみた。それでできたのが上の3句。

それで、やってみて気が付いたのですが、これって写生だな、と。

大きな声では言えないのですが、わたくし、事物をつぶさに観察してそこから一句をものすという写生ということをしたことがないわけです。だいたいが、てきとうに言葉を舌の上で転がしているうちに何かできるのを待つ、という感じ。しかし、それでは「レコジャで一句」にはならないわけで、一生懸命写真を見るわけです。しかも、手練れの方々がすでに一句を書き込んでいたりすると、すぐに目が行きそうなところはもう詠まれている。そういうわけで、写真をひたすらじーっと見つめて何かが引っかかるのを待つ、という経験をしているうちに、ああこれが写生ね、と思うに至ったわけです。

そんなの写生じゃないよ、と言われそうですが。

さて、俳句が写生なのかそうでないかは、ずーっと以前に引用した斉藤斎藤さんの理論に従えば、実は「読み」の問題であるわけです。つまり、読者がその句を読むことで、作者が何を見ていたかを再構成できるかどうかが重要。ということは、上に挙げた句を読んで下さった方が元になったレコジャを正しく想像できるかどうかということが大事。(というわけで、「レコジャで一句」を見にいくまえに元の写真を想像してみてくださいね。)

2013年7月6日土曜日

蝸牛


かたつむりの跡がびつしり顔洗ふ

人死ねば人が弔ふ夾竹桃

物忌みや水棲昆虫図鑑よむ

さるすべりしろばなならばすきにせよ

初蟬の怖じ気を思ふ夜明けかな



今朝はとうとうクマゼミが鳴きました。もう梅雨明けなんでしょうか。とても暑いです。夜も暑いです。明日の朝はもっと沢山鳴くと思います。もう気力、体力の限界。死ぬ死ぬ鷺。