2013年12月21日土曜日

言語化

小津安二郎忌の畳へこみたる

小津の忌日は12月12日。誕生日も12月12日。
ユーチューブを眺めてたら、小津安二郎の映画が沢山アップロードされている。たいへんな時代になったものである。

これを見ていてこみあげてくるこれ、なんだろうねこの感覚は。どのように言語化すればいいのか。むずかしいのである。




こんなことしてないでさっさと年賀状の準備しなくてはならないわけですが。

4 件のコメント:

  1. 最後まで見てしまいました〜。
    この子があの突貫小僧さんなのね、達者。
    原っぱのお酒を呑む仕方噺の手つき、主役の大人に負けてませんね。弟役の子もいいなあ。
    カメラワークも音も、いいもの見ました、ありがとうございます。
    (あーでも、年賀状は書かないけどやることたくさんあったのに)

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  2. ああそうか、これがあの突貫小僧でしたか←今頃^^ 
    なんだかわからないんですが、この兄弟見てると何かが喉元までこみ上げてくるような感じがして仕方ないわけですよ。僕より一世代上だし、懐かしいというのとはちょっと違うと思うんですけどね、、

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  3. 戦後の焼跡と思いながら見始めていました。すぐにそれより10年前だと気づいて愕然。小説のこの時代はもう少し都市っぽいか全くの農村かで、この江東区の荒涼感は意外でした。映像って力だなあ。

    この兄弟、わたしには親の世代より少しだけ下。つい監督気分で見てしまうけど、もっと近しい子どもなのに…。
    昭和のこのあたりはある種空白の時間かもしれません。もっと時間が遡れば感情移入しやすくなるのが不思議です。

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  4. そう言われれば、草ぼうぼうの原っぱに鉄塔とタンクだけがある光景って、現在から見ると時代不詳ですね。そこだけ見ると昭和30年、40年と言われても違和感ないかも。監督の意図とか公開当時にどのように見られたかとかとは別として、80年後の観客の一人としては、特定の時代性から切り離して(ある意味ファンタジーとして)、あの兄弟を眺めていたのかもしれないと思いつつあります。

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