2012年1月21日土曜日

それは象なのか

しばらく前に飯島晴子の句のことを書きかけたがいい加減にすませてしまった。忘れないうちにもう一度書いておこうと思う。

ツイッターに飯島晴子の句を囀るbotがいて、なぜかいつも鈴木真砂女のbotと一緒に句を囀る。どなたが選んでいるのか知らないがググッと来る句が多くて、いつもどこか摑まれる感じがしている。それで飯島晴子の句集を読みたいと思って図書館を探したところ、職場の隣の市の公立図書館に全句集があるようなので借りに行こうと思っている。寒くてまだ行っていないのだが。

その飯島晴子のbotが先日囀ったのが、「月光の象番にならぬかといふ」という句だった。月光の「象番」? なんだか気になるが、どうにも情景が浮かびにくい。「ならぬか」と云ふのは誰か? 月光? 象? どちらだとしてもイマイチな感じである。

なにか大切な、ほんたうのことが隠されていそうなのだが、それが見えてこない。映画の回想シーンか何かで超ソフトフォーカスの映像を使うことがあるが、ちょうどあんな感じ。暗い背景のなかで白っぽく照らされている大きな影。これが象? そのそばに人らしい影がいるのはわかる。が、それらの間に何が起こっているのか、全体に何がどうなっているのか、よくわからない。

それで象で切ってみた。「月光の象 番にならぬかといふ」。吃驚した。いきなり鮮明な情景が立ち上がる気がした。月光を浴びた象が真正面からこっちを見つめている情景が見える。人らしい影だと思ったのは自分自身だった。ぴたっと合わされた視線からどうしても逃れられなくて、立ち尽くしている強い感覚。

それでそのことをツイッターでぼそりと囀ってみたところ、お二人の方が、自分もそのように読んでいると囀り返してくれた。そのうえ、その情景とはこれではないかと絵(下)を見せて下さったり、それは歓喜天ですね、と教えて下さったりという展開になったのだった。

月光の象番にならぬかといふ  飯島晴子
げつくわうのざう つがひにならぬかといふ

伊藤若冲 「白象図」

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