前頭葉のちよつとうしろにゐる何か くろやぎ
ハムスターじゃね。
たとえば映画のあのシーンこのシーンについて《意味》を読み取ったり読み取れなかったりするということがある。おかげで、そういうことをうだうだ文章に書くと「評論」というものになる(らしい)。ひるがえってゲンジツの世界で眼にうつるあのシーンこのシーンには《意味》がない。
物理的な世界で物理的な眼球が光学的かつ生理学的に写しとるシーンは何かを寓意しているわけではないし何かの伏線でもない。世界はどこかの監督の撮った映画ではないからである。たとえばふと見上げた天井の電球が切れていたとして、そこに《意味》はない。ないはずである。……
ところが、
電球はあんなに高く切れており 広瀬ちえみ
である。ううむ、なんも言えねぇ。
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