さびしくて一日早く咲いてしまう 広瀬ちえみ
ぽつねんと咲いているので帰れない
これらの句を比喩だと思ってしまうとつまらない。文字通りに、淋しくて予定より早く咲いてしまった花、一輪だけ咲いて家に帰れない花のつぶやきだと思う。おもしろい、切ない。何かを思い出しそうになる。何だろうか。思い出せない。
この家の温度になってゆく私
季節は書いてない。しかしなぜか、冬だろうかと思う。
あと一本映画を観たら散る時間
楽しかった半券だけが残される
さらわれる期待 小さな舟が来る
真っ青な危ない空があるばかり
私の話だが、離人症というのか、ときどき事物の意味が薄れかけて、世界が真っ白に感じられそうになることがある。ちょっとヤバイと自覚しているので、そういうときは意識的に楽しいこととかを考えてみるようにしている。実は、「楽しいこと」よりももっと効果があるのは「憤ろしいこと」で、何か(というか、誰か)考えただけで憤懣ヤルカタナイと発憤できる対象を思いつくことができると、治癒する。
逆に、本来意味のない日常の見慣れた光景、ありふれた事物に意味をみいだしてしまう《病》というものもあるのかもしれない。「真っ青な空」に「危ない」という意味をみいだしてしまう病は、私のものでもあると気付く。意味をみうしなうことと意味をみいだしてしまうことがどちらも脳のエラーだとして、それらはすごく近しいこと ––– じつはほとんど同じことなのではないか。
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