股間
早乙女の股間もみどり透きとほる 森 澄雄
冬蝶を股間に物を思へる人 永田 耕衣
天井や股間にぬくき羊水や 池田 澄子
獣の股間の乳房秋暑かな 長谷川 櫂
雪国のきれいな股間思ひ寝る 矢島 渚男
最近、ようやく(と言うか何というか)俳句を読むのが面白くなってきた気がする。その反動だからなのかなんなのか、自分では全然句が作れない。僕が作る句などどうでもよいといえばその通りなのだが、それは〈他人にとって〉どうでもよいだけであって、自分自身にとっては作ることに意味はある。他人に見せるとか自分を表現するとかと、そういうことではなくて、作ること自体に意味はある。それで、いまはそういう時期ではないらしい。
「股間」という、時として劣情と結託しそうな語彙を俳人諸兄姉がどのように使っているのか並べてみた。なかなか興味深い。森澄雄の句は爽やかである。爽やかであるがしかしほのかに劣情の調味料が振りかけられていて、それが隠し味になっている。矢島渚男の句もそうである。いやこちらの方はより直截で、隠し味どころではないのかもしれない。長谷川櫂の句はどうか。こちらは森、矢島的な使い方ではない。大衆の劣情と結託する素振りは全くない。股間という言葉をここに入れることで獣のケダモノ性というか生々しさがいきり立っている。ただ逆にその上手さによって、別種の「劣情」(劣情カギカッコ付き)に近づいている気がしないでもない。池田澄子もカギ括弧付きだが更にもうひとひねりしてあって……。考え出すときりがない。考えるのを止めると、やはり上手いと思う。永田耕衣の句は劣情からも「劣情」からも遠いところにいる気がする。
股間股間股間又股間又又股間 くろやぎ
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