2012年1月16日月曜日

階段


階段が無くて海鼠の日暮かな 橋 閒石

空へゆく階段のなし稲の花 田中 裕明

最初に閒石句を読んだ時、それより以前に読んでいた(成立は後だが)裕明句に引きずられて読んでいたと思う。だいぶ後になって、そのような読み方は、(おそらく裕明句より先に閒石句を知ったのであろう)多くの人達とは全く異なっているらしいということに気づいた。

「否定形」というものの重要性、使い方に気付かされたのが田中裕明の階段の句だったから、閒石の句を見たときもそれ以外の読みは自分には想像つかなかったのだと思う。

それで、僕流の読み方では、〈二階建てなのに階段がない家〉などという無理なものは想定しない。そもそも階段があるべき景ではないのだ。「もしここに階段があったら……」という夢想があって、それを否定形によって表現していると読んだ。この場所は家の中である必要すらなくて、はっきり言って海辺だと思う。

ようするにこれは「(空へゆく)階段が無くて海鼠の日暮かな」ということではないのか。田中裕明が稲の花咲く水田の上空に夢想したのと同じような、まぼろしの長大な階段が海辺から空に昇っていくのが見えたのではないだろうか。実際には存在しないその階段がもしあれば、海鼠らは…… 


そういえば、海鼠は太古に火星からやって来た帰化生物ではないかという説をウェブだかツイッターだかで読んだ憶えがある。きっとそういうことだとおもっている。


それはもう一人もゐない國でした くろやぎ

0 件のコメント:

コメントを投稿