2014年5月30日金曜日
沖縄
沖縄やシャワー浴びるに口ふさぐ
子どもの頃に大好きなアイスクリームを食べ過ぎてお腹をこわして以来アイスクリームが食べられなくなった、というような話を時々きく。そういう食べ物がある人は結構いるのではないか。実は、僕にもそういう理由で食べられない(絶対に食べられないわけではないが、食べようとすると体の中の何者かが拒絶している感じがする)食べ物がある。
休暇な、もとい旧かなで俳句を書くのをやめることにした。文語文法も基本的にはやめる。まあ、文法については、有史以来の日本列島のことばが文語と口語に2分されるわけでは全然ないので、厳密にというわけではない。やめるのにたいした理由があるわけではないのだが、ある時、旧かなや文語で書こうとすると体の中の何者かが嫌がっているような感じにおそわれたのである。(アイスクリームと違って、お腹をこわすほど旧かな・文語を使いすぎたわけでもないのにね。)
2014年5月19日月曜日
植田
植田まだ空を映しているばかり 高濱年尾
さつぱりと植田三枚夕景色 柴田白葉女
植田守る男ときをり街を眺め 福田甲子雄
夜の植田シーツの幅に人は寝て 北原志満子
知り合いの上田さんはローマ字で名前を書くときは Ueda と書く。普通である。知り合いの植田さんは、ローマ字で名前を書くときは Weta と書く。上田のうはあ行のうだが、植田のうはわ行のうであるらしい。
そういえば、新聞の投書欄で読んだ話だが、大阪出身で奈良在住のその投書家の方も、同じ職場の方々もずとづを区別して発音しているし、聞き取っているという。私はづとずの違いについては何かで読んだことはあるが、自分では聞き分けられないし、聞き分けられないから発音しわけることもできない。
ああ、ちがいがわからないおとこである。
2014年5月11日日曜日
2014年5月5日月曜日
近江の人は惜しむだけ
ぶらんこや地べたに俺に空が青い
葭の角幾たび生まれかわつても
釈然としない病も春菊も
嗅ぎあててみよ胎生の春泥を
後悔や行く処なき春の水
古傷をつつつくあそび春の雨
芽柳は大気に頭突つこんで
ゆつくりとうたふともだちはるのくも
つちふるやいつかぼくらもそこへゆく
馬の子を圧し潰さんと空青し
つばめ飛ぶことばにできぬ衝動を
今年の春はめんどくさいことに巻き込まれて毎日ああでもないこうでもないと巻き込まれた仲間たちと右往左往しているうちに終わってしまった。ようやく晩春のステージまでクリアしたが次は初夏のステージが待っている。昔から敵というものは懲りない、諦めない、反省しないものである。(まあしかしこの生活にも慣れた。なるようにしかならんし。)
俳句は適当に並べてみたが、俳句ポストに出した句と自分のツイッタで勝手に囀った句の間には、水と油のような「混ざらない感」があるなあ(と今更ながら思う)。題詠苦手ということもあるのだが、それにしても…… 余所行きの句はやめようと決めたはずなんだが。
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