2つ前のエントリーのコメント欄で、俳句におけるエロスの話になって、ずっと以前のエントリーで書いたnudeとnakedの違いに似た違いがエロとエロスの間にあるとかないとか、という話に広がった。それで、ちょっと集めてみた。
啓蟄をかがやきまさるわが三角洲(デルタ) 櫂未知子
ぎりぎりの裸でゐるときも貴族
シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は
まはされて銀漢となる軀かな 柴田千晶(「超新撰21」)
スクリューのごとき男根枯野星
内股に触れし冷たき耳ふたつ
ちんすこう共寝のたびに音たてて 後藤貴子(「飯蛸の眼球」)
仏手柑をまたぐ姿勢にこだわりぬ
恋しとど浴びあんこうの生乾き
櫂さんの句は、題材がそれっぽいので載せてみたが、あまりエロくないし、エロスでもない気がする。とくに前の2句は金子兜太さんあたりが睾丸とか尿瓶とか詠んでるのに近い気がする。いや、そこまでのリアリティはないか。
柴田さんの句は、「作者と作中主体は違うのである」というような但し書きがついていそうな(実際にはついてないが)気配。第三者(読者)に見せるために書いているように感じる、という意味で nude もしくはエロ。
後藤さんは、nude 対 naked論のご本人で、なるほどたしかに nakedな感じである。しかし「関係」を描いているからエロスを感じるかというとそれほどでもない。にんげん界のエロスから物質界の何かに向かって分解されつつある途中という感じ。逆にそのせいか句集には一読の印象はアッサリしているが、繰り返し読むとじわじわ来る句が多い。で、もう少し引きたくなった。(こういう題材の句ばかりというわけでは勿論ない、為念。)
愛ばかり包めば湿る新聞紙 後藤貴子
自愛かな凪に残れるわが指紋
夜更けて毛深き桃で手を汚す
軍艦の三角サンド乾きけり
(話の発端になったとおとさんの句も引かせていただこうかと一瞬思ったのだが、句集に纏められてからの方がよいかと思い、今日はやめておくことにしました。)