2012年8月13日月曜日

昨日書いた

八月の鏡は闇を閉じ込めず

について。

この句は、最初、

   鏡は闇を閉じ込めず

という中七下五のフレーズがでてきた。このフレーズに明確な(散文的なあるいは論理的な)意味があるのかと言われれば、それは無い。しかし、では無意味なのかと言われるとそうではない。(詩的な)意味はあると思っている。が、ここではそれについては書かない。

この中下に組み合わせる上五を考えた。中下の(詩的な)意味をそのまま生かすための一つの方法は、無機的な上五を組み合わせることではないかと思った。

磨きたる鏡は闇を閉じ込めず
磨かれた鏡は闇を閉じ込めず

などを思いついた。しかし、鏡を形容するのに「磨く」を使ったのでは詩の世界としていかにも狭い。折角五音も使うのだからもっと広げなくてはと思った。それで、中下の(詩的な)意味を具象化することを考えた。元々、中下の十二音に散文的な意味はない。それをたとえば何かの具体的事物に結びつけることで、(詩的な)意味を実体化することができないかというわけだ。と考えた途端、

原爆忌鏡は闇を閉じ込めず

が出てきた。ちょっと戸惑った。中下の(詩的な)意味を、ある方向で具象化しているには違いない。しかし原爆忌は強い語だ。これを使うことで意味を具象化しすぎて、一種の思考停止というか、意味の大洋のただなかにぷかぷか浮いていた十二音がいきなりどこかの港のとある桟橋に縛り付けられてしまうようなことにはならないか。怯えた。

それでもう少し抽象化してはどうかと思った。

夾竹桃鏡は闇を閉じ込めず
晩夏光鏡は闇を閉じ込めず

などを思いついたが既に原爆忌に引きずられている。取って付けた感じでうまく収まらない。結局、

八月の鏡は闇を閉じ込めず

で止めてみた。これでいいのかよく分からないが、ある地点で踏みとどまっているとは思う。詩の広がりと具象化の二つの方向で考えてみたということだけ記録しておきたくなった。