げっこう ぞうばん
月光の象番にならぬかといふ 飯島晴子
揚句について以前書いた記事(それは象なのか)の続きです。(この行、5月10日追記。)
4月24日にも書いたが、「自解100句選 飯島晴子集」というのがあって(私が読んだのは「飯島晴子読本」に再録されたもの)、その中に揚句が取り上げられている。初出の句集「春の蔵」ではルビは振られていないが、この自句自解ではしっかり「げつこう」、「ぞうばん」とルビが振られている。
自解によると、井の頭自然文化園で「鷹」の句会があったときの句だという。しかしなかなか句ができず、帰宅してその夜に、どうしても投句を揃えなくてはならない状況に追い込まれた。少し引用してみる。
机に向かって、その日出会ったものをもう一度隅から隅まで綿密にたどり直してみたとき、バケツのようなものを提げて長靴を穿いて象舎を横切る男の姿が出てきた。捲き戻すフィルムがそこでちょっと止まった。この辺に何とかなりそうなものがあるという漠然としたもどかしい感触。それから形に仕上がるまでの経路は全く覚えていない。ただ、沢山沢山いろいろに書いてみた。そして、「月光の象番にならぬかといふ」というところで句を止めた。当然のことながら、句をどう解釈すべきかというようなことは一切書かれていない。
それはそれとして、これを読んでひとつ思い当たることがある。井の頭公園の象といえば「はな子」である。さらに「はな子」の飼育係といえば山川清蔵さんである。山川清蔵さんといえば「父が愛したゾウのはな子」である。父子二代にわたってはな子の飼育係をされた山川さんである。
ウェブの情報を適当にまとめる。はな子は1947年頃の生まれだそうで、戦後はじめて日本に来た象である。上野にいたりしたが、しばらくして井の頭に移った。1956年に、酔っぱらいが深夜に象舎に忍び込んだところをはな子が踏み殺してしまうという事件があった。このときは世間は同情的であったそうだが、1960年に今度は飼育員を死なせてしまった。そのため、はな子は両前足を鎖で縛られ象舎に閉じ込められた。その亡くなった飼育員の後に井の頭に異動してきてはな子の飼育係になったのが山川清蔵さん。その頃の様子については、息子さんが書いた文章などを見るとだいたい分かる。はな子の心をひらくためにずいぶん苦労されたようだ。
山川清蔵さんは定年を迎えた1990年頃まで、はな子の飼育係だった。飯島晴子の句は1979年の作なので、晴子が見た「バケツのようなものを提げて長靴を穿いて象舎を横切る男」は山川さんだった可能性が高い。
はな子はその頃すでに有名な象であったし、1977年に象舎の引っ越しがあって、11月25日付けの読売に「引っ越し大作戦 ゾウの花子さん 井の頭公園自然文化園 ちょっと心配」というかなり大きな記事が出ている。過去の事故のこと、山川さんの苦労のことなども詳しく書かれている。(余談だが、この記事によると、はな子が痩せこけたのは事故があって鎖に繋がれたからというだけではなく、前の飼育係がエサで言うことを聞かせるタイプの飼育をしていたために、もともと痩せていたらしい。それで山川さんが飼育するようになってから太ったとのこと。) このような記事は他にもあっただろうし、ひょっとすると、晴子はそのどれかを読んだか、そうでなくても、はな子と山川さんの話を聞いたことがあったのではないだろうか --- などと想像してみるのである。
そういうことを踏まえて、晴子の立場に身をおいてみる。はな子と山川さんの30年間の月日などをじんわりと想像してみる。それから、もういちど揚句を読む。
げ っ こ う の ぞ う ば ん に な ら ぬ か と い う
月光の象番にならぬかといふ
げ っ こ う の ぞ う つ が い に な ら ぬ か と い う
ほら、月光の影のなかにうっすらともうひとつのルビが浮かんでいるのがみえるでしょ(^^。
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