2013年5月12日日曜日

兼題


芹洗ふにんげんのみな俯いて

逝くときは一握の籾まくやうに

人の声消えて蚕の咀嚼音

畳まれて仔鯉ののぼり母のうへ

山ぎはの病室父に粽解く

以上5句、夏井いつきさんの兼題で作ったもの。ううむ、並べてみると、なんだか縮こまってゐるやうな、、、

顔洗ふにんげんのみな俯きて

逝くときは一握の砂まくやうに

そのうち2句は、詠み直すと無季になってしまうのでした。
 


2013年5月11日土曜日

癌


癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ 相馬遷子

片蔭の生るゝごとく癌うまる 加藤かけい

癌病めばものみな遠し桐の花 山口草堂

また夜が来て花冷えの癌病棟 竹鼻瑠璃男

みこまれて癌と暮しぬ草萌ゆる 石川桂郎

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋

癌癒えてよりの歳月冷奴 添野かよ


癌は英語でcancer、蟹座もCancerである。なんでかな、とずっと思っているのだが、まだ調べてない。

日本では半分以上の人が最後には癌で死ぬことになっているので、癌を患うというのは実はそれほど珍しい体験ではないのだが、体験中は結構どきどきしたりするものである。飛び箱12段に向かって助走している最中くらいのどきどき感がずうっと持続する、みたいな。よって、癌を詠んだ句は結構たくさんある。自分の癌を五七五に詠んで季語を添える、という行為はどんな感覚を伴うものなのかと思う。

上に挙げた何句かのうち最初の相馬遷子の句は、なにか突き放したようなところがある。遷子は医師として多くの癌患者を診たのちに、自身も癌を得て二年の闘病生活の末に亡くなった。上の句は発病以前のようにも見えるが、実際は発病後の句であるらしい。

2013年5月8日水曜日

レース


夏井いつきさんが松山のラジオでやっている毎日10分間の俳句番組というのがあって、それは視聴者、じゃない聴取者、今風に言えばリスナーの投句を募っていることを教えてもらった。で、愛媛の放送局なので聞くことはできないのだが、驚いたことに、毎日の放送をリスナーが勝手に文字に起こしてその日のうちにネットの掲示板に掲載している。放送局も知っているはずだがとやかく言わないのが偉い。おかげで日本中、世界中どこにいても文字で毎日の放送を読むことができる。インターネットの正しい使い方。

一つの兼題で週5日の放送だが、構成が上手で、月、火、水、木、金と別々のドラマがあり、読んでも面白い。それでおもわず投句してみようと思い立った。立ったのだが、実は兼題が難しい。粽、三光鳥、筍飯、レース、と来た。粽? 子どもの頃に食べた覚えはない。なので、全然イメージが湧かない。かろうじて数年前に実家に帰ったときのことを思い出したので句にした。思いはある。が、俳句としてはベタである。おつぎ、三光鳥。これはさらに厳しい。インターネットの(正しいかどうかわからないが)便利な使い方の一つであるところのユーチューブで映像を漁って、そういえばこれはジュビロのマスコットだ、などと思いつつ、その中のある映像のイメージででっち上げた。なんとなくけしからん感じの作り方である。せめて動物園にでも見に行けよ、という感じである。まあしかし兼題だから、と自分を誤魔化す。次は筍飯。これは好き、オッケー。といいつつ、これまで筍飯で俳句を作ろうなどと思ったことはないことに気が付く。いつのまにか夏井いつきに洗脳されているのか俺、などとうじうじする間もなく、次はレース。ええと、夏の季語でレースっていうとボートレースのことかな、と思いつつ角川歳時記をひもとくと、編むレースのことらしい。

ううむ、これは厳しい。レースを編んだことないし、レースを編む人を周りで見たことも多分ない(一切記憶にございません、というのは覚えているのに忘れたふりをするときに使うセリフらしいが、ホントに記憶にない。)。どっからどう攻めてみてもなんのイメージも湧かない。レースのカーテンでも良いらしいが、レースのカーテンにどうこうという思いがでてこない。ううむ、こまった。試練の時である。


レース編む夜とぶ鳥を思ひつつ 柴田佐知子

慢性的愛やレースのカーテンや 池田澄子


柴田さんの句は角川歳時記の例句に挙げられていた。愛の2句。入り込む隙がないではないか。