2013年6月15日土曜日

六月


あ、まだそこにいた六月のさざめきのなか


西東三鬼の句に「まくなぎの阿鼻叫喚を吹きさらう」というのがある。先日、ウェブで何か読んでいたら、この句の下五を「ふりかぶる」にした句が出てきた。それでちょっと調べてみた。「西東三鬼全句集」(都市出版社、1971)を見ると、句集「夜の桃」のところに、こんな具合に並んでいる。

まくなぎの阿鼻叫喚を吹きさらふ

 まくなぎの阿鼻叫喚をひとり聴く  現代俳句22・5

 まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる  三鬼百句23・9

ちなみに「夜の桃」は先行する「旗」(1937)等からの再録を含む句集で、発行は昭和23年9月。上に示された「ふりかぶる」の「自註句集『三鬼百句』」とほぼ同時に出ている。ちなみに「夜の桃」での表記は実は「吹きさらう」であって(ママ)が付いているとのこと。手元にある「西東三鬼句集」(芸林21世紀文庫)では「吹きさらう」としている。

三句を比較してみると、最初に発表された「ひとり聴く」は、まくなぎに頭を入れてしまった様子を静的に捉えて描写していることに気付く。これに対して「ふりかぶる」は、まくなぎに頭を突っ込んでいく様子を主体の動作として描写している。「吹きさらう」はさらに、主体がまくなぎに突っ込んでいくだけでなく、まくなぎも主体によって崩されていく様子を描写している。

「ひとり聴く」→「ふりかぶる」→「吹きさらう」の順番で改稿されてきたのではないかと思う。個人的には「吹きさらう」が好き。

角川の歳時記では、まくなぎの例句として「ふりかぶる」を挙げている。ウェブで検索してみても「ふりかぶる」が多い。「増殖する俳句歳時記」でも清水哲男さんが「ふりかぶる」を挙げている。清水さんの文章では、句の引用元として上に引用した都市出版社版の「西東三鬼全句集」を挙げているので、三つの句を比較したうえで「ふりかぶる」を選んでいると思われる。

同じようなことは他の句にもあるようで、たとえば、「旗」(1937) の

ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日

が、自註句集「三鬼百句」(1948.9)では

ピアノ鳴りあなた聖なる日と冬木

に改稿されていることについて、週刊俳句で取り上げられている。週刊俳句の記事には書かれていないのだが、実は、この句も「夜の桃」(1948.9)に収録されていて、そこでは元通りに「冬木と日」になっている。

「夜の桃」と自註句集「三鬼百句」の発行がほぼ同時なので、三鬼本人としてどちらを最終形としたかったのかはよくわからない。しかし、ここによると、「この『自註句集・三鬼百句』の原形は前年の昭和二二(一九四七)年五月に新俳句人連盟総会に出席するために神戸より上京する車中で認められたものである」とのことなので、そうであれば、「夜の桃」に納められている句が作者としての最終形と見るべきなのかもしれない。


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