2012年5月10日木曜日

5月10日

□ 一昨日の記事の補足(蛇足ともいう)。僕は「飯島晴子は、はな子と山川さんのことを知っていたはずだ」ということを言いたかったわけではないらしい。そう書いてあるだろうといわれそうだが、そうではなくて、「ぞうばん、つがいという二つの読み方を重ね合わせて読むのが、読者である僕にとって最も幸せな読みだ」ということが一番言いたかったこと。その読みに至る道筋に晴子の自解があった、ということを言いたかったのだと思う。ここまでで言いたいことのほぼすべては尽きている。そのうえで、半ばささやかな願望として、作者である飯島晴子において「つがい」という読みを許容する意識があったのではないか、とも思っているというニュアンスを付けたかった、てなところ。

砂女さんのブログで一昨日の記事をご紹介いただいていた。砂女さんは殴られそうな強い短歌と優しい俳句を書かれるひと。恐縮至極。

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