2014年5月11日日曜日

白昼夢


籐椅子のリリアン・ギッシュまどろめる


10代のリリアン・ギッシュ (w/ ドロシー・ギッシュ) -- An Unseen Enemy (1912)

90代のリリアン・ギッシュ(w/ ベティ・デイビス) -- The Whales in August (1987)

嗚呼、全然変わってないぢゃないか!

2014年5月5日月曜日

近江の人は惜しむだけ


ぶらんこや地べたに俺に空が青い

葭の角幾たび生まれかわつても


釈然としない病も春菊も


嗅ぎあててみよ胎生の春泥を


後悔や行く処なき春の水


古傷をつつつくあそび春の雨


芽柳は大気に頭突つこんで


ゆつくりとうたふともだちはるのくも


つちふるやいつかぼくらもそこへゆく


馬の子を圧し潰さんと空青し


つばめ飛ぶことばにできぬ衝動を




今年の春はめんどくさいことに巻き込まれて毎日ああでもないこうでもないと巻き込まれた仲間たちと右往左往しているうちに終わってしまった。ようやく晩春のステージまでクリアしたが次は初夏のステージが待っている。昔から敵というものは懲りない、諦めない、反省しないものである。(まあしかしこの生活にも慣れた。なるようにしかならんし。)

俳句は適当に並べてみたが、俳句ポストに出した句と自分のツイッタで勝手に囀った句の間には、水と油のような「混ざらない感」があるなあ(と今更ながら思う)。題詠苦手ということもあるのだが、それにしても…… 余所行きの句はやめようと決めたはずなんだが。

2014年3月1日土曜日

二月尽


ここでまた佐保姫に逢ふ闇小路

風光る再び生まれ来る子らに

町中の子ら取り替へて二月尽


久しぶりにブログでも書こうかと思ったらパスワードを思い出せなくて苦労した。で、苦労してようやく潜り込んだら、何を書く気だったのか忘れているという、春の烏。

さて、気を取り直して何かてきとーに書いてみる。

二月である。もう終わったけど、昨日まではとにかく二月であった。二月というのは、月の初め頃に節分があって立春があって、あとは大体冬の続きみたいなものである。むかし、日本では立春の前の日にソイビーンを撒いてデビルをやっつけるんだよと東欧人に教えてやったら、ああ俺の国でも似たような行事があるよソイビーンは撒かないけど、と教えてくれた。寒くて暗くて辛い冬がようやくくたばりそうになるのを祝ってお祭り騒ぎをするのは、世界中どこでもあることなのかもしれない。それで、二月にはいつも再生の気配があるのだろう。

二句目は松山俳句ポストに出した句。輪廻とか生まれ変わりとかということを詠もうと意識して作ったのではなくて、いきなりふわっと言葉が降りてきた。これはどういう意味だろうとしばらく考えてから、そういう風に読めることに気がついた。個人的にはいまはいない家族のことを想起したりもした。で、締切の水曜の夜にようやく投句して、翌朝、電車の中でネットを巡回していたら、日本人の宗教のはなしがあって、「一度生まれの人」、「二度生まれの人」という言葉がでてきた。ちょっと吃驚した。

三句目は取り替え子伝承、まんまである。どうしてこういう考えが受け継がれてきたのか、と思う。