2013年12月15日日曜日

寒林に入り青蝶の死に会ひぬ


なんか知らんが、夜にひとりでいたりするとダウナーな気分になるわけである。いちばんよくないのは出張でビジネスホテルに泊まったりしているときで、缶ビール飲みながらyoutubeで懐メロ見出だしたりするともう止まらない。涙ぽろぽろ。







2013年12月12日木曜日

ことば


人間のことばを知らず室の花


生まれたての赤ん坊は言葉を知らないので、周りで大人があやしたり話しかけたりしてもへらへらしたりそっぽを向いたりする。興味があるのは、やつらが言葉を理解するようになっていく過程というのは、やつらにとってどういう体験なのだろうかということである。ううむ、こう書いてしまうと興味の中心がボケてしまう。つまり、言葉を知らない、言葉という概念すら想像もできない状態、人生で一度は体験したはずだが既に忘れてしまったその状態を、できることならもう一度体験したい。

あるいは、ある年齢までの幼児は声にだして話される言葉は理解するし自分でも使うことができるのだが、書かれる言葉を知らない。これも不思議なことで、書かれる言葉を全く理解できないという状態はどういうものなのだろうか。単に理解できないだけなら、東南アジアへでも行けば体験できるし、それはそれで迷子になったような孤独感を味わえるのだが、悲しいかなあのくねくねは何か意味を載せた文字というものであることは知っている。そうではなくて、文字というものの存在を知らない生を生きてみたいのである。

死ぬまでにそういう瞬間が私に戻ってくるのだろうか。


2013年12月3日火曜日

エロ(ス)

2つ前のエントリーのコメント欄で、俳句におけるエロスの話になって、ずっと以前のエントリーで書いたnudeとnakedの違いに似た違いがエロとエロスの間にあるとかないとか、という話に広がった。それで、ちょっと集めてみた。



啓蟄をかがやきまさるわが三角洲(デルタ)  櫂未知子

ぎりぎりの裸でゐるときも貴族

シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は


まはされて銀漢となる軀かな   柴田千晶(「超新撰21」)

スクリューのごとき男根枯野星

内股に触れし冷たき耳ふたつ


ちんすこう共寝のたびに音たてて  後藤貴子(「飯蛸の眼球」)

仏手柑をまたぐ姿勢にこだわりぬ

恋しとど浴びあんこうの生乾き



櫂さんの句は、題材がそれっぽいので載せてみたが、あまりエロくないし、エロスでもない気がする。とくに前の2句は金子兜太さんあたりが睾丸とか尿瓶とか詠んでるのに近い気がする。いや、そこまでのリアリティはないか。

柴田さんの句は、「作者と作中主体は違うのである」というような但し書きがついていそうな(実際にはついてないが)気配。第三者(読者)に見せるために書いているように感じる、という意味で nude もしくはエロ。

後藤さんは、nude 対 naked論のご本人で、なるほどたしかに nakedな感じである。しかし「関係」を描いているからエロスを感じるかというとそれほどでもない。にんげん界のエロスから物質界の何かに向かって分解されつつある途中という感じ。逆にそのせいか句集には一読の印象はアッサリしているが、繰り返し読むとじわじわ来る句が多い。で、もう少し引きたくなった。(こういう題材の句ばかりというわけでは勿論ない、為念。)



愛ばかり包めば湿る新聞紙  後藤貴子

自愛かな凪に残れるわが指紋

夜更けて毛深き桃で手を汚す

軍艦の三角サンド乾きけり



(話の発端になったとおとさんの句も引かせていただこうかと一瞬思ったのだが、句集に纏められてからの方がよいかと思い、今日はやめておくことにしました。)